年号 |
元号 |
月日 |
災害名 |
災害の種類 |
災害形態 |
県名 |
市町村名
など |
被災個所数 |
人的被害 |
災害碑の有無 |
概要 |
カルテ
No |
684 |
天武13年 |
11月29日 |
白鳳南海地震(M8.3) |
地震、津波 |
山崩れ、家屋倒壊 |
大分 |
― |
― |
死者多数(全体) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
(旧10月14日)土佐その他南海・東海・西海地方:山崩れ、河湧き、家屋社寺の倒潰、人畜の死傷多く、津波来襲して土佐の船多数沈没。土佐で田苑50余万頃(約12k㎡)沈下して海となった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。(津波規模10~20m)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南海・東海・西海地震(白鳳地震):M8.3
【宮崎県の災害の実態】(1961)
日向には津波の記録は見あたらないが影響ありとみる。
744 |
天平16年 |
6月30日 |
肥後地震(M7.0) |
地震、津波 |
― |
熊本 |
八代市、天草市、葦北郡 |
家屋流出470、山崩れ280(熊本県) |
死者1590余(熊本県) |
|
>詳細
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【熊本県災害史年表】(1999)
6月:八代、天草、芦北三郡大災害。民家470戸流失、1520人死亡。又、続日本紀には雷雨地震とある。(熊本県災異誌、肥後国誌、新水俣市史)
【地震・津波と災害】(1991)
肥後:旧5月21日、八代、芦北、天草の各部。雷雨地震大いにふるい、津波の来襲による山崩れ、田畑の浸水、民家の倒壊、人畜の死傷甚大。田畑290余丁を海底に化し、民家の流失470余、溺死1520余人、圧死40余人、山崩れ280。この津波が地震によるものか、あるいは雷雨と山崩れによるものかは明らかでない。
887 |
仁和3年 |
8月26日 |
五畿七道地震〔仁和地震〕(M8.0~8.5) |
地震、津波 |
家屋倒壊・流失 |
宮崎 |
延岡市 |
― |
死者多数(全体) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
(旧7月30日)五畿・七道:京都で民家・官舎の倒潰多く、圧死多数。津波が沿岸を襲い溺死多数、特に摂津で津波の被害が大きかった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。(津波規模10~20m)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
五畿七道地震(仁和地震):北海道と東北を除く日本全国にわたって大地震が発生。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
仁和(ニンワ)南海地震、臼杵郡東海村(現延岡市東海町)にあった護国寺(慈通寺)現円通山千光寺)が流出して、守護田に移転した。また、同村川島熊野大権現が倒壊。
【九州の災害史】(1987)
(旧7月30日)宮崎県に大地震、津波を伴い家屋流出。(府県別年別気象災害表)
【宮崎県災異誌】(1967)、【宮崎県の災害の実態】(1961)
大震洪水あり、臼杵郡東海村護国山慈通寺(今は円通山千光寺)流出す。仍て守護田に移転す。同村川島熊野大権現倒壊す。(日向郷土史年表)
1361 |
正平16年 |
8月3日 |
畿内・土佐・阿波国地震(M8.3~8.5) |
地震、津波 |
― |
大分 |
佐伯市 |
― |
死者多数(全体) |
|
>詳細
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【理科年表H28】(2016)
(旧6月24日)畿内・土佐・阿波:摂津四天王寺金堂転倒し、圧死5。その他、諸寺諸堂に被害が多かった。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1700戸、流死60余。余震多数。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。(津波規模10~20m)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
M8.3~8.5近畿地方中南部から四国地方にかけて大地震。津波が土佐・阿波および摂津の沿岸を襲い、阿波由岐湊では家屋1700が流出、流死60余。難波浦で漁師数百人が溺死。
1586 |
天正13年 |
1月18日 |
畿内・東海・東山・北陸諸道地震 |
地震、津波 |
海浜流没 |
大分 |
玖珠町山浦荻原 |
― |
― |
|
>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:大。大分県全般、海岸津波。大地震、大津波大分郡荻原、三佐、海辺郡大在地方の海浜数里、海中に流没す。(別府史談)
1596 |
慶長元年 |
9月4日 |
大分地方地震 |
地震、津波 |
山崩れ、家屋倒壊・流失 |
大分 |
大分市、別府市、豊後高田市 |
― |
死者708(大分県) |
● |
>詳細
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001 no5 |
【理科年表H28】(2016)
(旧7月9日)豊後:前月より前震があったらしい。この日の大地震で高崎山など崩れ、八幡村柞原八幡社拝殿など倒壊、海水が引いた後大津波が来襲し・別府湾沿岸で被害。大分などで家屋ほとんど流失。「瓜生島」(大分の北にあった沖ノ浜とされる)の80%陥没し、死者708という。(津波規模4~6m)
【日本歴史災害辞典】(2012)
(1596慶長伏見地震(慶長元年7月12日)の項目に記述P189)旧7月9日(1596.9.1)に豊後を中心とする九州北部の大地震(M6.9)別府湾内の活断層の活動により発生と推定。豊後の府内(現大分市)では5000戸の家屋のうち残ったのは200戸だけ。由原八幡宮では拝殿や回廊が倒壊、由布院では山崩れで多数の死者。夜に津波が発生、府内の外港であった「沖の浜」(現大分市住吉・勢家)では23度の津波に襲われ全ての家屋・人畜・船舶が失われた。湾岸の日出、浜脇(現別府市)、佐賀関も冠水。府内での波高は4~5mと推定。周防灘の南岸の高田(現豊後高田市)も津波で家屋・人命に被害。下関では関門海峡で潮が引いて陸のようになった。長崎、島原半島、矢部で大きな地震が感じられた。旧12日(9月4日)の地震によって「瓜生島」が水没した説があるが、江戸中期以後の文献のみで地震発生当時の史料には記されていない。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
1596.9.4大分地方地震:豊後国で強い地震が発生。多数の地震を発し、夕刻大地震となって高崎山などが崩壊。大津波が襲来して別府湾沿岸に被害を与え、大分とその周辺ではほとんどの家屋が流失。別府湾内、大分の北約400~500mにあったとされる瓜生島は80%陥没し、住民700人が死亡したと伝えられる。
【福岡の気象百年】(1990)
4日、伊予灘(別府湾):M7.25大分県で大被害、山崩れなど。大津波が別府湾を襲い死者数百。海上で大音響を発し海水が遠く引き去ったのち、大津波が来襲して大分およびその付近の村里すべて流出したといわれている。別府湾大分市の北400~500mのところにあった周囲3里余(約12km)の瓜生島が陥没し、溺死者が708人出たという。
1605 |
慶長9年 |
1月31日 |
東海道南海道沖地震 |
津波 |
― |
鹿児島 |
大隅、薩摩 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
九州南部においては東目(大隅)より西目(薩摩)の浦浜に大波が来襲したと伝えられる(薩摩旧記後扁)本県の被害は記録皆無であるが上記の記録より海岸地に被害があったものと思われる。
【宮崎県の災害の実態】(1961)
福島市木洪波、人畜多死、海漁充満田畠(高鍋藩史備考)
1605 |
慶長9年 |
2月3日 |
東海・南海・西海道地震(M7.9)〔慶長南海地震〕 |
津波 |
― |
鹿児島 |
大隅、薩摩 |
― |
死者2500以上(全体) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
(旧12月16日)東海・南海・西海諸道:「慶長地震」津波が犬吠岬から九州までの太平洋岸に来襲。(津波規模10~20m)
【日本歴史災害辞典】(2012)
房総半島から南九州にかけての太平洋岸、伊豆諸島を地震による津波が襲った事件。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
関東から東海・南海道・四国および九州南部にわたって強い地震が発生。津波が犬吠岬から九州にいたる太平洋沿岸に襲来して大きな被害あり。八丈島や九州の大隅・薩摩地方も津波に襲われ、南海トラフ沿いの巨大地震とみられるが、地震被害に比べて津波被害がきわめて大きく、東海沖合に震源をもつ、いわゆる”津波地震”ではないかと想像される。
1627 |
寛永4年 |
11月11日 |
地震 |
地震、津波 |
家屋倒壊・流失 |
大分 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
大地震あり。恒道村神塩鉱泉一時多量湧出せるか之よりさき慶長中の大地震にも湧出量を増やしたり。(山香郷土史)
流家13軒、倒家96軒あり。(高田風土記、佐賀関史)
1662 |
寛文2年 |
9月19日 |
大隅津波地震(仮称)(震度6以上) |
地震、津波 |
山崩れ |
鹿児島 |
大隅 |
― |
多数 |
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>詳細
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【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
3時。大隅地おおいに震い、海嘯起こり、山崩れ地裂く、陸地の海となる。数10町人畜多く死亡す。(日本震災凶饉攷)(程度:大)
1662 |
寛文2年 |
10月31日 |
日向・大隅地震(M7.5~7.8)〔外所地震〕 |
地震、津波 |
山崩れ、津波、家屋倒壊、土地陥没、堤防道路破損 |
宮崎 |
日向市、延岡市、宮崎市、日南市、高鍋町 |
家屋倒壊3800(宮崎市佐土原800余、延岡市1300余・半壊510、朝倉市秋月278、日南市飫肥1213)(山崩れ、土地陥没、堤防道路破損) |
死者200(宮崎県) |
● |
>詳細
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003 no2 |
【理科年表H28】(2016)
(旧9月20日)日向・大隅:日向灘沿岸に被害。城の破損、潰家多く、死者があった。山崩れ、津波を生じ、宮崎県沿岸7ヶ村周囲7里35町の地が陥没して海となった。日向灘の地震の中でも特に被害が大きかった。(津波規模4~6m)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州南部地方地震:M7.5~7.8日向・大隅国に強い地震があり、日向灘沿岸の被害大きく、家屋倒壊や城の破壊多数にのぼる。死者あり。津波襲来し、日向灘沿岸の7か村周囲約31kmの土地が陥没して海となる。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
外所(トンドコロ)地震。城下で山崩れが発生(高鍋藩)。城下で山崩れが発生、領内沿岸部57町余が地盤沈下して海になる(延岡藩)。城下で山崩れが発生(佐土原藩)。大淀川河口、清武川河口、加江田川河口など青島付近で3~4尺地盤沈下した。加江田・本郷地区の一部沿岸周囲7里35町・田畑8500 石余が殆んど海に没した。推定4~5mの津波来襲で死者15名の人的被害。赤江村は津波の被害を受けたため、田吉村に移った。加江田神社が海没したため、現在の車坂地内に移った。堀切峠で山崩れが発生(宮崎市)。宮崎県における最大震度6。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:M7.5~7.8、船舶の損害10余。堤防道路破損し、穀類約6000俵潮入となる。死者多数。家屋破損流失3800。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部(殿所地震):宮崎県南部中心に被害、死者有、壊家多数。津波有。
1700 |
元禄13年 |
2月12日 |
津波 |
津波 |
山崩れ |
佐賀、長崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
肥前の国。
1700 |
元禄13年 |
3月16日~17日 |
地震(震度6以上) |
地震、津波 |
山崩れ |
佐賀 |
肥前の国 |
― |
― |
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>詳細
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【佐賀県災異誌(上巻)】(1952)
程度:大。(旧1月26~27日)正月26日より翌日まで大地震。(吉茂公譜)
1700 |
元禄13年 |
9月13日 |
津波 |
津波 |
石垣崩壊 |
宮崎 |
日向市 |
石垣崩壊223 |
― |
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>詳細
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【九州の災害史】(1987)
(旧8月1日)宮崎県で津波。
【宮崎県の災害の実態】(1961)
櫛間に海嘯あり、防潮石垣223間崩壊す田6町を損ず。(日向史郷土年表)
1707 |
宝永4年 |
10月 |
鹿児島地震(仮称)(震度5~6) |
地震、津波 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:中。地震、海嘯あり。鹿児島城破損す。(日本震災凶饉攷)
1707 |
宝永4年 |
10月28日 |
宝永地震(M8.6) |
地震、津波 |
津波、家屋倒壊 |
福岡、大分、宮崎 |
日向市、佐伯市米水津、久留米市、柳川市 |
家屋倒壊60000(全体) |
死者4900~20000(全体)、死者139(日向市)、死者22(佐伯市) |
● |
>詳細
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004 no1 |
【理科年表H28】(2016)
(旧10月4日)「宝永地震」わが国最大級の地震の一つ。津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。(津波規模30m以上)
【日本歴史災害辞典】(2012)
大分の佐伯藩では地震で486戸が倒壊した。山崩れも含めての被害。さらに地震後1時間程で高さ1.6~3.3mほどの津波が来た。4刻の間に4回、半日で7回などと記録されているので周期1~2時間ほどの長周期の津波。城下での津波による死者は4名。藩全体では22人。別府湾の日出生では大地震ののち1時間ほどで津波が来て10数度差し引きしたので3日間山に避難していた。津波は杵築でも延岡でもあった。熊本では城はさしたる被害があく領内も死傷者はなかったが470軒の家屋倒壊。高鍋や人吉では城が破損。人吉盆地は倒壊家屋も多かった。長崎では津波が到達、町中に2尺ほどの浸水があった。平戸でも夕方から夜中まで8回の潮の干満。佐賀県鹿島市、長崎県諫早では地震後に震源域の鉄砲や大砲、あるいは雷と表現される大音響が聞こえたという。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
日向国で堤防破損1200間、家屋全壊410戸、流失10戸、破損335戸、田畑汐入5700石、畑荒地240町(以上竹村太郎右衛門代官所)。堤防破損69588間余、潰家13418戸、流失1525戸、破損16249戸(以上権藤氏)の記録が残っている。宮崎県における最大震度7。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:南海道沖。「宝永地震」。地震、津波あり、鹿児島城破損す。最大級の地震、津波は九州の南東面より伊豆に至る沿海を襲う。震災地を通じて潰家29000、死者4900人。
1707 |
宝永4年 |
11月18日 |
地震 |
地震、津波 |
― |
大分 |
大分市、別府市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
大地震、大海嘯、流家13軒、倒家96軒。(佐賀関史、別府史談)
1715 |
正徳5年 |
9月1日 |
地震 |
地震、津波 |
― |
大分 |
別府市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
地震、海鳴人民山に逃げる。(別府史談)
1769 |
明和6年 |
8月29日 |
日向灘地震(M7.75) |
地震、津波 |
山崩れ、橋梁損壊、家屋倒壊、城崩壊、石垣崩壊 |
福岡、大分、熊本、宮崎 |
延岡市、高千穂町、久留米市 |
山崩れ10(延岡市)、橋梁崩壊11(高千穂町)、家屋全壊13(高千穂町) |
死者有 |
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>詳細
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005 |
【理科年表H28】(2016)、【熊本県の気象百年】(1990)
(旧7月28日)日向・豊後・肥後:延岡城、大分城で被害多く、寺社、町屋の破損が多かった。熊本領内でも被害が多く、津波があった。(津波規模2m前後)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
M7.8、九州地方地震、豊後水道を震源とする強い地震が起こり、延岡城・大分城の被害が多く、城下で寺院・町屋の破損多数。熊本領内でも被害多く、宇和島で有感。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
山崩れ数十箇所発生、家屋全壊13戸、橋梁11箇所損壊。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M7.4、延岡藩領内で山崩れが数十ヶ所で発生。高千穂では山崩れで家屋全壊13戸、橋梁11ヶ所が損壊。しかし、翌二十九日朝まで雷雨となり、翌々八月一日は大風であったため、被害を分類しがたい面がある。(延岡藩)宮崎県における最大震度6。
【熊本県災害史年表】(1999)
未の刻、熊本大地震。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:M7.8、大分・高鍋・延岡の諸城破損。民家つぶれる。薩摩国沿海の地は津波の被害を受ける。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘北部(豊後水道):大分、宮崎県中心に被害、死者有、壊家多数。津波有。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:日向灘(M7.4)。薩摩国沿海の地は津波の害あり。
1778 |
安永7年 |
― |
津波 |
津波 |
― |
鹿児島 |
大島郡沖永良部島 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
沖永良部島海嘯あり。(県史)
1780 |
安永9年 |
9月9日 |
桜島海底噴火 |
津波 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:桜島。海底噴火により小津波起こり、損害多し。
1780 |
安永9年 |
10月31日 |
桜島海底噴火 |
津波 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市 |
― |
死者8(鹿児島県) |
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>詳細
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【福岡の気象百年】(1990)
死者8人。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:桜島。海底噴火により小津波起こり、死者8人。
1781 |
天明元年 |
4月11日 |
桜島噴火〔桜島高免沖の島噴火〕 |
火山、津波 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市桜島 |
― |
死者15、行方不明7(鹿児島県) |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
海底噴火、津波発生し、死者8名、行方不明7名、負傷者1名、船舶6隻損失。
【福岡の気象百年】(1990)
死者15人。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:桜島。高免沖の出来島噴火、小津波起こり溺死者15人。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
4月に高免沖の島で噴火、津波を起こして死者8、行方不明者7のほか船6隻損失。5月にも高免沖で海底噴火有。
1792 |
寛政4年 |
4月21日 |
雲仙岳噴火(震度6以上) |
火山、地震、津波 |
― |
長崎 |
島原市島原 |
― |
― |
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>詳細
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【九州の災害史】(1987)
(旧3月1日)雲仙岳噴火爆発、地震、津波あり。
【佐賀県災異誌(上巻)】(1952)
旧3月1日。程度:大。佐賀全部。古文にて詳細あり。(塩田郷土誌、不動郷土誌、祐徳稲荷神社史)
島原温泉岳に大噴火があり、此の地方まで暴々地震があった。更に翌4月には又々山潮と海嘯の襲来があって打ち続く災厄に邑民は就れも不安の思ひにその日々を送ったものである(久間村郷土志)
温泉岳大爆発有明海に海嘯あり。(佐賀県干拓史)
【福岡県災異誌】(1936)
地震、島原温泉嶽噴火せし故なり。(久留米天災記)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
1月18日夜、雲仙の主峰普賢岳が噴火、一旦噴火は静まったが2月に入ると再び活動が激化して溶岩の流出も始まり、3月1日には強い地震が発生して各所に地割れや地下水の異常がみられる。9日、島原町の背後にある眉山の一部が突然崩れ、4月1日は大きな鳴動が起こり、眉山の山体の半分が崩壊して島原の町の南半分を泥海と化し、さらに海に流れ込んだ大量の土砂と岩石は島原湾や有明海に大津波を引き起こすなど、噴火、地震、津波と重なった災害となり、島原で約1万人、対岸の肥後で約5000人の死者がでる。
1792 |
寛政4年 |
5月2日 |
噴火、津波 |
火山、津波 |
家屋流失 |
熊本 |
― |
― |
死者5520 |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
すこしはうすらぎしも15日獪も昼夜4、5度ゆすり晦日まで間断なり。(天草近代年譜)
溺死者5520名、その他の被害甚大、玉名郡に千人塚あり、本郡のみにて死者2200人とあり。(天草近代年譜、近世肥後年表)
1792 |
寛政4年 |
5月21日 |
雲仙岳噴火・地震(M6.4)〔島原大変肥後迷惑〕 |
火山、地震、津波 |
山崩れ、津波、家屋倒壊・流失 |
長崎、熊本 |
島原市島原、天草市 |
家屋倒潰12000 |
死者約15000(全体) |
● |
>詳細
pdf |
006 s05 s06 |
【理科年表H28】(2016)
(旧4月1日)雲仙岳:前年10月から始まった地震が11月10日頃から強くなり、山崩れなどでたびたび被害があった。4月1日に大地震2回、前山(天狗山)の東部がくずれ、崩土約0.34k㎡が島原海に入り津波を生じた。対岸の肥後でも被害が多く、津波による死者は全体で約1万5千、「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた。(津波規模10~20m)
【日本歴史災害辞典】(2012)
噴火そのものによる被害は軽微で、溶岩噴出停止後の地震による隣接の眉山の山体崩壊と、それによって誘発された大津波による被害が甚大であった。死者約1万5千人。島原藩被害報告。流死者9524人、島原城下では5251人。(抜粋)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
(島原大変):島原で約1万人、対岸の肥後で約5000人の死者が出る。(島原大変・肥後迷惑事件)
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
雲仙普賢岳噴火・眉山崩壊に伴う有明海の津波。(津波高さ最大30m)
【熊本県災害史年表】(1999)
4/1(旧暦)、雲仙岳地震により肥後筋、天草東筋一帯津波15000人死者、潰家12000件。天草郡の被害は、被害数18ケ村、海辺流家373軒、潰家353軒、溺死343(男148女195)、牛馬流死109。宇土飽田玉名郡の被害は、流死4653人(宇土郡1266、飽田郡1066、玉名郡2221)、負傷811人、牛馬151、流潰住家2252。
【地震・津波と災害】(1991)
雲仙岳付近:雲仙岳噴火。島原半島の前山(眉山)崩れ、有明海に大津波起こす。死者15000人、潰れた家12000。
1797 |
寛政9年 |
11月21日 |
桜島海底噴火 |
火山、津波 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市桜島 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:桜島。海底噴火により小津波起こる。
1828 |
文政11年 |
5月9日 |
肥後地震(仮称)(震度6以上) |
地震、津波 |
― |
熊本 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
程度大。肥後国。8日夜四つ時頃大地震、夜中度々ゆり、9日朝まで余震あり、高潮満ち掲る。(近代年譜)
1828 |
文政11年 |
5月15日 |
地震 |
地震、津波 |
― |
熊本 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
夜四つ半頃及び16日八つ時又々地震す。(近代年譜)
1828 |
文政11年 |
5月19日 |
地震 |
地震、津波 |
― |
熊本 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
朝五つ時、暮五つ時又少々ゆする。(天草近代年譜)
1841 |
天保12年 |
7月13日 |
地震 |
地震、津波 |
― |
熊本 |
八代市、芦北町 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
昼夜3、4度地震があり、八代、芦北方面強し。19日又地震南目別して強し。(天草近代年譜)
1854 |
安政元年 |
12月24日 |
安政南海地震(M8.4) |
地震、津波 |
崩壊、山崩れ |
福岡、佐賀、大分、長崎、熊本、宮崎、鹿児島 |
佐伯市、宮崎県内全域、小林市夷守岳 |
崩壊箇所多数 |
死者多数(全体) |
● |
>詳細
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007 no1 |
【理科年表H28】(2016)
(旧11月5日)「安政南海地震」:被害地域は中部から九州に及ぶ。津波が大きい。(津波規模:30m以上)
【日本歴史災害辞典】(2012)
この連発巨大地震によって関東地方から九州南部までが震度5以上の強い揺れにみまわれ、房総半島から大分県までの海岸が高さ2m以上に襲われた。大分東部震度6以上。九州の佐伯に約2m程度の津波。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道地震(安政南海地震):前日に安政東海地震があり、翌日、紀伊半島から九州にわたる太平洋岸を中心に大地震。地震後房総から九州までの海岸に大津波が襲来。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
各所で山崩れ発生、砂土原で液状化現象、夷守山の南側岳くずれ発生。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
相良藩(米良・椎葉)、宮崎郡7ヶ所で山崩れ発生した。佐土原では液状化現象が、北方村2ヶ所南方村3ヶ所三須村3ヶ所では山崩れが発生。高原町夷守岳南側とその他多くの岳が崩れた。(宮崎県の津波高:2m)宮崎県における最大震度5~6。
【宮崎県災異誌】(1967)
南海道沖:大津波は房総半島より九州東岸に及ぶ。鹿児島、その他九州の諸国各々損害を被らざるなし。(権藤氏)
【宮崎県の災害の実態】(1961)
飫肥外ノ浦海溢れる。新堤の中央7.8間欠壊す。(日向史郷土年表)
1854 |
安政元年 |
12月26日 |
伊予西部・豊後地震(M7.3~7.5) |
地震、津波 |
家屋倒壊 |
大分 |
大分市鶴崎 |
倒れ屋敷100 |
― |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
(旧11月7日)豊後:南海地震の被害と区別が難しい。鶴崎で倒れ屋敷100。
【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:中。大分県全般、海岸海嘯。26日~29日地震海嘯、午後5時30分より大地震がありて、午後6時30分より大海嘯に襲われたのであった。この地震は11日間に及び1月3日の午前10時に止んだとのことであるが漁船の顛覆家屋の倒潰流失移しかったのである。(坂の市郷土史)
1893 |
明治26年 |
9月7日 |
鹿児島県南部地震(M5.3) |
地震、津波 |
家屋倒壊、家屋・土蔵・堤防破損、地すべり、崖・土砂崩れ、道路亀裂 |
鹿児島 |
南九州市知覧町、鹿児島市新島町 |
家屋倒壊2(鹿児島県) |
なし |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
鹿児島県南部:知覧村付近で強く、家屋、土蔵、石垣、堤防など破損。近くの村々でも被害。倒家2。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
2時40分、鹿児島県薩摩半島中部を震源とする地震が発生、震央の川辺郡知覧付近での被害が多く、破損、地すべりなど。翌年同じ位置にM6.3の地震があり、小被害がでる。
【九州の災害史】(1987)
4月7日、鹿児島地震、知覧村付近で強く、家屋数棟倒壊、または破損。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
2時30分、震源:薩摩知覧村(M6.4)知覧村で居宅半壊1、土蔵破損10、石垣破損88、堤防破損1、その他の地方でも石垣崩壊、倒家などあり。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:中。午前2時30分より県下地震数回あり、給黎郡知覧村(現南九州市)最も激しく、同日午後8時まで激震3回に及び今なお時々微震あり、中心点と思われるもの原因分からず、道路の破損大小60個所あり、石垣は過半崩壊、土蔵はすべて亀裂し、その他地上の亀裂少なからず、幸い人畜の死傷なし。(震災予防調査会報告)
附記:午前2時40分大隅国北大隅郡西桜島赤間の内新島(現鹿児島市新島町)は北方16間幅4間余亀裂し、後12日午前11時頃同所に海嘯起こり、長10間幅8間許の地崩壊せり、他に異常なし。(鹿児島外2郡役所報)
1899 |
明治32年 |
11月25日 |
日向灘地震(M7.1、M6.9) |
地震、津波 |
家屋損傷、土蔵倒壊 |
大分、宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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009 |
【理科年表H28】(2016)
宮崎県沖:宮崎、大分で家屋が小破し、土蔵が倒壊した。大分では2回目(M6.9)の方が強かった。(津波規模50cm以下無被害)1回目:3時43分、2回目3時55分。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方東部地震。
【福岡の気象百年】(1990)
(1回目)日向灘中部:中部の12分後に北部の地震が発生。津波有。
(2回目)日向灘北部:家屋破損など。
【九州の災害史】(1987)
6月25日、日向灘地震M7.6、宮崎・大分で家屋が小破し、土蔵が倒壊した。3時43分(M7.6)と3時55分(M7.5)二回あった。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
午前3時46分12秒と午前3時56分18秒の2回に亘ってかなりの地震が感ぜられた。
1901 |
明治34年 |
6月24日 |
南西諸島地震(M7.5) |
地震、津波 |
石垣崩壊 |
鹿児島 |
奄美市名瀬 |
― |
― |
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>詳細
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【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南西諸島地震:16時02分、鹿児島県奄美大島近海を震源とする地震が発生し、南西諸島と九州および四国で揺れを感じる。大島の名瀬で石垣崩壊などの小被害。小津波あり。
【地震・津波と災害】(1991)
奄美大島近海:有感域広し、名瀬にて多少の被害あり、小津波あり。同日午後にも規模7.0の地震あり。
【福岡の気象百年】(1990)
奄美大島近海:有感域は広いが名瀬で石垣の崩壊など小被害。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:奄美大島近海(M7.9)名瀬にて石垣崩壊、瓦落下などの小被害、津波あり、細島で波高7~8寸。
1911 |
明治44年 |
6月15日 |
喜界島地震(M8.0) |
地震、津波 |
家屋倒壊 |
鹿児島 |
喜界島、徳之島 |
家屋全壊422(全体)、家屋全壊401、半壊533(喜界島) |
死者12(全体)、1(喜界島)、5(徳之島) |
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>詳細
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010 |
【理科年表H28】(2016)
奄美大島付近:「喜界島地震」有感域は中部日本に及び喜界島、沖縄島・奄美大島に被害があった。死12、家屋全潰422。この地域最大の地震。(津波規模1m程度)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南西諸島地震:23時26分、鹿児島県喜界島近海を震源とする強い地震が発生、喜界島の被害が大きく、住家全壊401、死者1。奄美大島で住家全壊11、徳之島で住家全壊5、死者5。全体で住家全壊422、死者12人。宮崎県でも小被害。南西諸島では観測史上最大の地震。
【地震・津波と災害】(1991)
喜界島近海:震域甚だ広し。震害の最大は喜界島で家屋の全壊401、半壊533、死者1人、傷者9人。震災地を通じて全壊422、死者12人。津波あり。
【福岡の気象百年】(1990)
奄美大島近海:特に喜界島で被害大、名瀬のほか宮崎でも家屋が破損、死者12。小津波有。
【九州の災害史】(1987)
喜界島近海地震M8.2、有感域は関東に及び、喜界、沖縄、大島に被害があった。死者12人、家屋全壊422。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:喜界島近海(M8.2)。奄美大島では15日3回の有感地震の後この地震となった。喜界島で被害が最も大きく、死者1、負傷者9、住家全潰401、半潰433、その他の地方でも死傷者あり、震災地を通じて死者12人、負傷者26人、住家全潰428、半潰565、石垣崩壊、山崩れ多し、津波あり、名瀬付近で震度6。
1914 |
大正3年 |
1月12日 |
桜島噴火(桜島地震M7.1)〔大正大噴火・桜島地震〕 |
火山、地震、津波 |
噴火、家屋倒壊、地割れ、水道・煙突破損、浸水、船舶全壊 |
鹿児島 |
鹿児島市 |
家屋全壊120(全体)、81(鹿児島県)、地割れ、水道・煙突破損、浸水、船舶全壊13(鹿児島県) |
死者58、負傷者112(全体)、35(鹿児島県) |
● |
>詳細
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011 no3 |
【理科年表H28】(2016)
鹿児島県中部:「桜島地震」桜島の噴火で発生した地震。鹿児島市で住家全壊39、死13、鹿児島郡で死22余。小津波があった。(津波規模2m前後)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
鹿児島地方地震:桜島の噴火に伴う地震で、震害は鹿児島市で最もひどく、死者13、住家全潰39、鹿児島郡で死者22、家屋全壊81のほか地割れや水道・煙突の破損を生じる。小津波が発生、鹿児島市沿岸で道路・家屋の浸水などあり。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
溶岩流、噴石、地震、降灰で120戸全壊、死者58名、負傷者112名、村落埋没。
【福岡の気象百年】(1990)
鹿児島市沿岸で船舶全壊13隻。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
10時5分桜島噴火、18時29分地震(M6.1)、震源:桜島、鹿児島市沿海地域が最も強く、家屋全潰39、半潰130、一部破損977、死者17人、負傷者96人、崖崩れによる圧死者10人、地震後1~1.5時間後小津波襲来し、鹿児島市沿岸道路に浸水、船舶全壊13、破損22、家屋浸水多し。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
桜島爆発のため濃霧空を閉し、段々轟々大地を感かす。(塩田郷土誌)
桜島噴火に伴う地震、午後6時29分30秒に佐賀では弱い震動が感ぜられた。
【福岡県災異誌】(1936)
桜島の噴火、地震、福岡県に降灰。(弱震)
1929 |
昭和4年 |
5月22日 |
日向灘地震(M6.9) |
地震、津波 |
津波、家屋破損、壁の亀裂剥落、煙突倒壊 |
大分、宮崎 |
竹田市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M6.9、震源の深さ約20km。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中(南)部:宮崎県で被害、家屋破損など。
【大分県の気候誌】(1973)
震源は日向灘、M6.8、大分市の震度4。
【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:1時35分頃南九州一帯に強震を感じた、震央は宮崎市の東微南30kmの日向灘沖合。宮崎市では稀な大規模の顕著地震で品物の落下、壁の亀裂剥落、煉瓦煙突の倒壊などあったが被害は少なかった。
【宮崎県の災害の実態】(1961)
宮崎の震度Ⅴ、熊本、大分、鹿児島で強震を感じている。
【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:中。大分県全般。震源は日向灘、1時35分、大分市では強震の弱に属す。震動は最初より「急激で、直入郡菅生では四万余りの岩石2個が震動により落下した。また各地に煙突倒潰その他軽微な被害が続出した。(大分合同新聞記事、日本地震資料)
1931 |
昭和6年 |
11月2日 |
日向灘地震(M7.1) |
地震、津波 |
家屋倒壊、山崩れ、地すべり、橋梁破損、煙突倒壊、石垣倒壊、道路決壊 |
宮崎 |
― |
家屋全壊4(宮崎県)、1(鹿児島県)、半壊10(宮崎県)、1(鹿児島県)、家屋倒壊2(大分県)、山崩れ、地すべり、橋梁破損1(鹿児島県)、煙突倒壊17(鹿児島県)、石垣倒壊2(鹿児島県)、道路決壊1(鹿児島県) |
死者1(宮崎県) |
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>詳細
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013 |
【理科年表H28】(2016)
日向灘:宮崎県で家屋全潰4、死者1。鹿児島県で家屋全潰1。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方南部地震:19時03分頃、日向灘を震源とする地震があり、宮崎市付近で被害が大きく、県全体で死者1、負傷者29、家屋全壊4など。鹿児島県で家屋全半壊2。小津波あり。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:宮崎・鹿児島両県で死者1人、傷者29人。家屋の全半壊26。その他山崩れ、地すべり、橋梁の破損の被害。室戸で85cmの小津波あり。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部:宮崎県中心に被害、死者1、負傷29。津波有。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M6.6、宮崎県で家屋全壊4、死者1人、鹿児島県で家屋全壊1。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
19時3分(M6.6)、震源:宮崎県沖、家屋全壊1、半壊1、煙突倒壊17、石垣崩壊2、道路亀裂1、橋梁破損1、宮崎県で被害大、死者1、負傷者29、家屋全壊5、半壊21、破損26、煙突倒壊215、山崩れ、地割れ、津波あり。
【大分県の気候誌】(1973)
震源は日向灘、M6.6、大分市の震度4、津波あり。
【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:19時3分に強震(震度5)、県下の被害死1、傷29、家屋倒壊4、半壊10
1939 |
昭和14年 |
3月20日 |
日向灘地震(M6.5) |
地震、津波 |
家屋倒壊、煙突倒壊 |
宮崎 |
― |
家屋半壊1、煙突倒壊3(宮崎県) |
死者1(宮崎県) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
日向灘:大分県沿岸で小被害、宮崎県で死1。小津波があった。(津波規模50cm以下無被害)
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘北部:宮崎、大分県で被害、死者1、負傷1。津波有。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M6.6、35戸に小被害、小津波あり。
【大分県の気候誌】(1973)
震源は日向灘、M6.6、大分市の震度4、津波あり。
【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘北部:12時22分頃本県美々津河口の東北東約20kmの沖合に起こった相当に大規模のものである。県内の被害、死者1名、傷者1名、家屋半壊1戸、煙突倒壊3 等。
【宮崎県の災害の実態】(1961)
12時22分頃。宮崎の震度Ⅳ(M6.7)。被害死者1、負傷者1、家屋半壊1、煙突倒壊3、道路崩壊7。震度は熊本、大分、鹿児島、清水4(中震)。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
佐賀での震度は3(弱震)。
【福岡県災異誌Part.Ⅱ】(1951)
日向灘北部の地震、福岡県では東郷では強震(震度5)、柳河、銀水では中震(震度4)、外の大部分は弱震(震度3)を感じている。
1941 |
昭和16年 |
11月19日 |
日向灘地震(M7.2) |
地震、津波 |
家屋倒壊他 |
熊本、宮崎 |
人吉市、延岡市 |
家屋全壊18~27(全体)、半壊1(宮崎県)崩壊箇所多数 |
死者2、負傷者18(全体)、死者1~2(熊本県)、負傷者5(宮崎県) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
日向灘:大分、宮崎、熊本の各県で被害があり、死者2、家屋全壊27。九州東岸に津波があり、波高は最大1m。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方地震:1時46分、宮崎県日向灘を震源とする地震が発生、大分・宮崎・熊本の各県で死者2、家屋全壊27ほか。九州東岸・四国西岸に津波が襲来。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
崖崩れが発生したが、人的被害はなし。(延岡市)宮崎県における最大震度5。
【熊本県災害史年表】(1999)
日向灘地震、人吉地方で死者2人、家屋の全壊19。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:大分・宮崎・熊本三県で死者2人、傷者18人。家屋の全壊27、半壊32。九州の東岸と四国の西岸に波高約1mの津波あり。船舶の転覆・流失あり。
【熊本県の気象百年】(1990)
1時46分日向灘地震。大分・宮崎・熊本の三県で死者2、負傷18。最大震度Ⅴ:宮崎・人吉・宿毛・延岡。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部:宮崎県の沿岸中心に被害。熊本県人吉で死者1。津波有。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M7.4、大分、宮崎、熊本各県で小被害があり、死者2人、家屋全壊18、九州東岸に津波があり、波高1m。
1944 |
昭和19年 |
12月7日 |
東南海地震(熊野灘)(M7.9) |
地震、津波 |
家屋倒壊、津波 |
大分、宮崎 |
― |
家屋全壊26130(全体) |
死者998 |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
津波尾鷲で8m~10m、家屋全壊26130戸。
1946 |
昭和21年 |
12月21日 |
南海道沖地震(南海地震) |
地震、津波 |
家屋倒壊、瓦落下、煙突倒壊、津波 |
大分、熊本、宮崎 |
― |
家屋全壊11951(全体)、家屋半壊3(宮崎県)、家屋全壊36~37、半壊95(大分県)、瓦落下、煙突倒壊、家屋倒壊3(佐賀県)、家屋全壊1(福岡県)、家屋全壊6~13(熊本県) |
死者1330(全体)、2(熊本県)、4(大分県) |
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>詳細
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014 |
【日本歴史災害辞典】(2012)
地震の揺れは、九州から関東・北陸地方に及び、波源域から発生した津波は、九州西岸から房総半島にまで達した。震度5の揺れに見舞われた地域は、九州から中部地方に及び、震害は九州の国東半島・別府湾沿岸等。大分県別府近郊の温泉では湯量の増加。被害は、死者:熊本県(2人)、大分県(4人)、負傷者:熊本県(1人)、大分県(10人)、宮崎県(1人)、住家全壊:福岡県(1戸)、熊本県(6戸)、大分県(36戸)等。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南海道沖地震:4時19分、地震後、静岡から九州にいたる海岸に津波襲来。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
津波宮崎で1.5m~1.6m、家屋全壊11951戸。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
県内で負傷者5名、家屋半壊3戸のほか、地震津波発生で家屋1165戸が浸水した。(宮崎県の津波高:1.6m)宮崎県における最大震度4。
【福岡の気象百年】(1990)
宮崎県に2m近い津波。
【大分県の気候誌】(1973)
震源は紀伊半島沖、M8.1、大分市の震度5、津波あり。
【宮崎県災異誌】(1967)
潮岬南南西沖:土々呂では発震後数回にわたり高潮が襲来、最大振幅は230cm、この津波の引き潮によって漁舟が230隻流れたがほとんど回収された。門川では6時から8時までの間に4回の高潮が押し寄せた、第4回目が最も高く150cmにおよんでいる。本県の被害は傷1、半壊3。
1951 |
昭和26年 |
11月5日 |
カムチャツカ半島沖地震(M9.0) |
地震、津波 |
津波、護岸決壊、床上浸水 |
宮崎 |
日南市南郷町 |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
津波高さ1.2~1.5m。
1960 |
昭和35年 |
5月23日 |
チリ地震(M8.5~9.5) |
津波 |
津波、床上・床下浸水 |
鹿児島 |
― |
床上浸水3(熊本県)、168(宮崎県)、595or637(鹿児島県)、床下浸水13(熊本県)、145(宮崎県)、1145or1321(鹿児島県) |
死者122(全体)、負傷者2(鹿児島県) |
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>詳細
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015 |
【日本歴史災害辞典】(2012)
24日:負傷者:鹿児島県(2人)、床上浸水:熊本県(3戸)、宮崎県(168戸)、鹿児島県(595戸)、床下浸水:熊本県(13戸)、宮崎県(145戸)、鹿児島県(1145戸)等。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南米チリ沖地震:津波襲来
【熊本県災害史年表】(1999)
津波。九州では大分、宮崎、鹿児島の各県にかなりの被害を受けた。なお熊本県の天草方面も被害があった。(熊本県災異誌)
【福岡の気象百年】(1990)
発生約1日後日本沿岸に来襲し、九州でも所によって津波の高さが3mを越え、宮崎、鹿児島両県を中心に負傷者2人、床上浸水約800棟などの被害が出た。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
負傷者1。(種子島)床上浸水637、床下浸水1321、その他田畑浸水。堤防決壊、船舶の被害あり、奄美大島で被害最も大、津波は太平洋沿岸各地を襲い、日本の沿岸には24日2時半頃到達した。
【宮崎県災異誌】(1967)
24日:チリ地震津波:日向灘沿岸では発震後の24日4時頃から異常波を認め、県北で2m(最高潮位と最低潮位との差)、中部で1m、南部では3mの津波となった。
1961 |
昭和36年 |
2月27日 |
日向灘地震(M7.0) |
地震、津波 |
崖崩れ、地盤沈下、建物損壊、道路破損 |
宮崎、鹿児島 |
高千穂町、宮崎市、小林市、都城市 |
建物全壊3(全体)、1(宮崎県)、半壊4(宮崎県)、家屋全半壊13(鹿児島県)、道路破損4、崖崩れ5(鹿児島県) |
死者1(宮崎県)、1(鹿児島県) |
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>詳細
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016 |
【理科年表H28】(2016)
日向灘:宮崎、鹿児島両県で死2、建物全壊3。九州から中部の沿岸に津波、波高は最高50cm。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方地震:日向灘を震源とする地震が発生。宮崎で震度5、鹿児島・熊本・震度4。被害は宮崎と鹿児島に発生し死者2、負傷者7、建物全壊3等、九州から中部地方の海岸に小津波。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
崖崩れ発生(高千穂町・小林市・都城市)、大淀川沿いや飛行場滑走路で地盤沈下が発生(宮崎市)。宮崎県における最大震度5。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:宮崎・鹿児島両県で死者2人、傷者7人。家屋の全半壊18。その他鉄道に若干の被害。九州・四国の太平洋沿岸に最高50cmの小津波あり。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘南部:宮崎・鹿児島県中心に被害。死者2。津波有。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M7.0、宮崎、鹿児島両県で死2人、家屋全壊3戸、九州~中部沿岸に津波。波高最高50cm。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
3時11分(M7.0)、震源:宮崎県沖、死者1、負傷者3、家屋全半壊13、一部破損7、非住家被害6、道路破損4、崖崩れ5、津波で大隅半島一帯に被害。
1968 |
昭和43年 |
4月1日 |
日向灘地震(M7.5or7.7)〔1968年日向灘地震〕 |
地震、津波 |
家屋損壊、津波、床下浸水 |
宮崎、鹿児島 |
宮崎県内全域 |
家屋全壊1、半壊2、道路破損18、床下浸水56(全体) |
死者1、負傷者15~57(全体) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
日向灘:「1968年日向灘地震」高知、愛媛で被害多く、死1、傷15、住家全壊1、半壊2、道路損壊18など。小津波があった。(津波規模2m前後)
【日本歴史災害辞典】(2012)
宮崎県、熊本県、大分県で被害が発生。津波によって日向灘から豊後水道沿岸の地域が被害を受けた。負傷者15名、住家全壊1等。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州・四国地方地震(1968年日向灘地震):9時42分、宮崎市の東北東約100kmの日向灘を震源とする地震が起きて延岡・宿毛で震度5を記録。被害が特に高知県南西部と愛媛県南部に集中し、負傷者15等。小津波あり。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
津波細島で198cm、油津で66cm。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M7.5、震源の深さ約30km。宮崎県における最大震度5。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:死者1人、傷者15人。住家の全壊1、半壊2、床下浸水56。その他橋梁・船舶・水田などに若干の被害あり。九州・四国地方の太平洋沿岸に1~2mの津波あり。「1968年日向灘地震」
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中(北)部:宮崎・大分県で負傷8。最大2mにおよぶ津波が大分県南部から宮崎県北部地域を襲い、港湾施設や水産施設に影響を与えた。
1970 |
昭和45年 |
7月26日 |
日向灘地震(M6.7) |
地震、津波 |
山・崖崩れ、道路崩壊 |
宮崎 |
宮崎市、延岡市、日南市 |
山・崖崩れ6、道路崩壊4(宮崎県) |
負傷者13(宮崎県)、死者4人 |
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>詳細
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【日本の自然災害500~1995年】(2010)
宮崎県地方地震:7時41分、宮崎市の東方約110kmの日向灘を震源とする地震が発生し、宮崎・日南市などで負傷者13、山崩れ4ヶ所などの被害あり。小津波を観測。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
延岡市での崖崩れほか、日南市で道路崩壊4箇所。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
山月地区の数ヶ所で崖崩れ発生(延岡市)。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:宮崎・鹿児島両県で死者2人、傷者7人。家屋の全半壊18。その他鉄道に若干の被害。九州・四国の太平洋沿岸に最高50cmの小津波あり。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部:宮崎県に被害。負傷13。津波有。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M6.7、負傷者13人、山(崖)崩れ6ヶ所、小津波があった。
【大分県の気候誌】(1973)
震源は日向灘、M6.7、大分市の震度4。
【宮崎県災異誌第6号 災害の記録S45】(1970)
M7.0、午前7時41分ごろ西日本一帯で人体に感じる強い地震が起こり、特に宮崎県南部で振動が強く、宮崎・都城・油津で震度5、延岡・小丸川(高鍋町)で震度4を観測した。負傷者が宮崎市を中心に13人もあった。この地震に伴う津波による被害が心配されたが、油津で最高20cmの潮位の上昇が観測されただけで被害はなかった。
1984 |
昭和59年 |
8月7日 |
日向灘地震(M7.1) |
地震、津波 |
建物破損、山崖崩れ、塀倒壊、屋根瓦破損 |
宮崎 |
延岡市 |
建物破損319~325、山崖崩れ12(全体)、塀倒壊、屋根瓦破損(大分県) |
負傷者9(全体) |
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>詳細
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【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M7.1、震源の深さ33km。宮崎県における最大震度4。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:地震による被害は、傷者9人、建物一部破損319棟、山(崖)崩れ12個所、道路。鉄道に若干。延岡で18cmの小津波あり。
【大分県災異誌(第5編)】(1991)
日向灘北部:04時06分、延岡の東南東50kmの日向灘に発生した地震。延岡、宮崎、油津、大分、熊本で震度4。日田、阿蘇山、都城、人吉、鹿児島、佐賀、福岡で震度3。この地震による被害は、負傷9、建物一部破損325棟、山、崖崩れ12か所などの被害。大分県下では、大分市、佐伯市でブロック塀の倒壊や屋根瓦の破損。竹田市の岡城址の三の丸跡に亀裂。この津波により福岡管区気象台は04時14分に九州東海岸と薩摩諸島及び山口県の瀬戸内海沿岸に津波警報を発表。延岡で18cmであった。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘北部:宮崎県中心に被害。負傷9。津波有。
【熊本県の気象百年】(1990)
4時6分日向灘。宮崎・大分・熊本の各県で被害。負傷9、建物一部破損319など。弱い津波があり、延岡で18cmを記録。最大震度Ⅳ:宮崎・延岡・油津・大分・熊本。
1987 |
昭和62年 |
3月18日 |
日向灘地震(M6.6) |
地震、津波 |
落石、崖崩れ、建物破損、水道損傷、道路不通、交通規制 |
宮崎 |
日南市日之影町 |
建物破損354、水道損傷168、道路不通・交通規制33(宮崎県) |
死者1(宮崎県) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
日向灘:死1、傷6のほか、建物・道路などに被害があった。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
日向灘地震:12時36分頃、日向灘を震源とする地震があり、宮崎で震度5を記録、宮崎県内で郵便集配車が崖崩れに遭遇して1人が死亡したほか4人が負傷。
【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M6.6、震源の深さ48km。宮崎県における最大震度5。
【大分県災異誌(第5編)】(1991)
日向灘中部:12時36分、宮崎市の東約50kmの日向灘に発生した地震。宮崎で震度5。震度4は熊本、大分、佐賀、阿蘇山、延岡、人吉、油津、都城。震度3は福岡、鹿児島、雲仙岳。この地震による被害は、宮崎県内で死者1名、負傷者6名等、大分県下では竹田市、三重町で崖崩れ。この津波により福岡管区気象台は12時43分に九州東海岸と薩摩諸島及び山口県の瀬戸内海沿岸に津波警報を発表。極く微少の津波が発生した。
【地震・津波と災害】(1991)
日向灘:地震により死者1人、傷者6人、建物一部破損354棟、水道損傷168個所、道路不通または通行規制33個所の被害あり。
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部:宮崎県で死者1、負傷6。
【熊本県の気象百年】(1990)
12時36分日向灘。宮崎県で被害大。死者1、負傷若干のほか建物・道路などに被害があった。大分・熊本県でも被害あり。最大震度Ⅴ:宮崎。