年号 |
元号 |
月日 |
災害名 |
災害の種類 |
災害形態 |
県名 |
市町村名
など |
被災個所数 |
人的被害 |
災害碑の有無 |
概要 |
カルテ
No |
1871 |
明治4年 |
12月2日 |
地震 |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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|
【福岡県災異誌】(1936)
七つ下尅地震致す。(奇談日記)
1872 |
明治5年 |
3月14日 |
島根県浜田地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
福岡 |
久留米市 |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
日没頃地震少時にて止みたり、三潴郡浮島村田地凡九反計引割砂泥を吹出し、地面一尺計り下り、同所農家同様一尺計り地面下り家屋傾く。(柳河年表)(強震)
1872 |
明治5年 |
3月16日 |
地震(震度3) |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
地震にて所々転家多し。(奇談日記)(弱震)
1872 |
明治5年 |
3月19日 |
地震 |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
朝二度地震。(加藤田日記)
1872 |
明治5年 |
12月30日 |
阿蘇山噴火 |
火山 |
噴火 |
熊本 |
阿蘇市阿蘇山 |
― |
死者数人 |
|
>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
硫黄採掘者が数名死亡。
1873 |
明治6年 |
5月23日 |
地震(震度3) |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
午後五時地震、各家渾て外へ馳出る。(加藤田日記)(弱震)
1873 |
明治6年 |
7月28日 |
人吉地震(仮称)(震度6以上) |
地震 |
― |
熊本 |
人吉市 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災害史年表】(1999)、【熊本県災異誌】(1952)
程度:大。九州一円。人吉大地震、九州大地震、洪水且つ虫害あり。(球磨郡誌)
1874 |
明治7年 |
8月 |
洪水 |
風水害 |
大風、洪水 |
福岡 |
|
人家倒壊・流失19275戸 |
死者510人 |
|
>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
27日大暴風雨被害じん大、三潴県管内被害、死者510人、負傷者800人、人家倒壊・流失19275戸、救助民115092人。
1876 |
明治9年 |
2月2日 |
地震 |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
夜子尅地震。(奇談日記)
1878 |
明治11年 |
6月 |
洪水 |
風水害 |
洪水 |
福岡 |
|
|
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|
>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
三潴県内損害8万石。
1884 |
明治17年 |
11月30日 |
地震 |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
今暁午前7時20分地震。(奇談日記)
1885 |
明治18年 |
6月15日~20日 |
梅雨前線による大雨 |
風水害 |
浸水被害、筑後川洪水 |
福岡、佐賀、大分 |
久留米市、朝倉市、うきは市 |
瀬ノ下水位2丈5尺5寸(7.72m) |
― |
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>詳細
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【筑後川水系河川整備計画(変更)【大臣管理区間】九州地方整備局】(2018)
原因は梅雨。瀬の下地点2丈5尺5寸(7.72m)。筑後川の国直轄工事として統一した改修計画(第1期改修計画)策定の契機となった洪水。
1885 |
明治18年 |
8月13日 |
鹿児島湾地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎、鹿児島 |
大隅、薩摩、日向市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
鹿児島湾:日向、大隅薩摩に有感、鹿児島においては強震その他は弱震であった。
1885 |
明治18年 |
11月29日 |
地震 |
地震 |
― |
福岡 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
午前11時地震。(奇談日記)
1886 |
明治19年 |
8月10日 |
豊後海峡地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
大分 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
豊後海峡:四国、中国、九州に有感で日向においては北部にて弱震程度であったが鳴動を伴う。
1887 |
明治20年 |
4月29日 |
四国九州の遠海地震(仮称) |
地震 |
― |
大分 |
― |
― |
― |
|
>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
四国九州の遠海:四国、近畿、中国、九州の各地において有感で最もはげしかったのは九州東部および四国の南西部であった。被害はなかったが有感区域は大であった。
1887 |
明治20年 |
10月20日 |
大雨 |
風水害 |
崩壊 |
宮崎 |
日南市 |
― |
死者6(宮崎県) |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】
―
1888 |
明治21年 |
1月27日 |
霧島岳地震(仮称) |
地震 |
― |
鹿児島 |
霧島市 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
鹿児島県西囎唹郡霧島岳鳴動噴火飛灰4、5里内の村落に降下す。(凶荒誌)
1888 |
明治21年 |
6月 |
明治21年6月水害 |
風水害 |
家屋流出、橋梁流出 |
熊本 |
― |
家屋流出6 |
死者3 |
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>詳細
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【球磨川水系河川整備計画[国管理区間]九州地方整備局】(2022)
死者3 人、家屋流出6 戸、その他橋梁流出。
1889 |
明治22年 |
1月18日 |
地震 |
地震 |
― |
佐賀 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
午前4時頃より地震したるが大凡13~14分間にて止みたり。(佐賀新聞)
1889 |
明治22年 |
7月4日~5日 |
梅雨前線による大雨〔明治22年水害〕筑後川3大洪水 |
風水害 |
家屋倒壊、遠賀川洪水 |
福岡、佐賀、大分 |
久留米市、日田市、遠賀町 |
家屋被害57368(筑後川流域)、2196(遠賀川流域) |
死者70(筑後川流域)、11(遠賀川流域) |
● |
>詳細
pdf |
s09 s18 |
【筑後川水系河川整備計画(変更)【大臣管理区間】九州地方整備局】(2018)
原因は梅雨。瀬の下地点2丈8尺4寸5分(8.62m)。死者日田18人、久留米52人、家屋被害日田8460戸、久留米48908戸第2期改修の必要性を痛感せしめた洪水(筑後川3大洪水)。
【遠賀川水系河川整備計画【大臣管理区間】九州地方整備局】(2007)
遠賀川洪水。死者11名、家屋流出倒壊127戸、浸水家屋2069戸、堤防決壊2286箇所、橋梁破壊412橋。
1889 |
明治22年 |
7月22日~24日 |
豪雨 |
風水害 |
堤防決壊、菊池川洪水 |
熊本 |
玉名市 |
家屋崩壊52、家屋浸水2456、道路決壊747、橋梁流出11、堤防決壊11(熊本県) |
死者79(熊本県) |
|
>詳細
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【菊池川系流域及び河川の概要(国土交通省)】(2008)
豪雨による洪水。菊池川の堤防決壊、玉名郡被害大。
死者79名、負傷者9名、家屋崩壊52戸、家屋破損12戸、家屋浸水2456戸、道路決壊747間、橋梁流出11件、堤防決壊11件、浸水田畑1498 町歩(熊本県)
1889 |
明治22年 |
7月28日 |
熊本地震(M6.3) |
地震 |
橋の落下・破損、家屋倒壊、地割れ |
熊本 |
熊本市周辺 |
家屋倒壊366、地割れ880(全体) |
死者20、負傷者54~74(熊本県) |
|
>詳細
pdf |
008 s07 |
【理科年表H28】(2016)
熊本県西部:熊本市を中心に半径約20kmの範囲に被害があり、県全体で全壊239、死20。橋の落下や破損が多かった。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
熊本県地方地震:23時40分、熊本県西北部を震源とする地震が発生。熊本市を中心に半径20kmの範囲、特に金峰山麓で被害が大きく、福岡県柳川方面でも家屋被害があり、島原半島眉山で山崩れ起こる。死者20、負傷者54、全壊家屋239、半壊236、熊本城内で石垣が崩れ、熊本県下飽田郡内で地割れ600、田んぼに凹凸、噴砂もみられる。
【熊本県災害史年表】(1999)
熊本で大地震(金峰山地震)7~8月にかけて200回記録、同年末までに566回を記録し、被害は家屋全壊228、同半壊183、飽田を中心に死者20人、傷者52、地裂880その他被害も多し。(写真集熊本100年)
【地震・津波と災害】(1991)
熊本:震災地を通じ壊家239、半壊200、死者20人、傷者74人。
【福岡の気象百年】(1990)
熊本県中部:熊本市で被害大、死者20、地割れ多数、震源は金峰山付近か。
【熊本県の気象百年】(1990)
23時45分、飽田郡を中心に熊本県下で被害大。死者20、負傷52、家屋全潰228・半潰138、地裂880、堤防崩壊45、橋梁壊落22・破損37、道路破損133。柳河地方でも潰家60余。肥後・筑後地方で強震。
【宮崎県災異誌】(1967)
肥後国:九州全部、四国西部および中国の一部が有感区域で熊本付近では潰家200戸、半潰200戸、死者20名、傷者74名、橋梁破壊19、橋梁破損21におよんだ。
1889 |
明治22年 |
10月1日 |
奄美大島近海(M6.0) |
地震 |
地割れ |
鹿児島 |
奄美市名瀬 |
― |
なし |
|
>詳細
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【福岡の気象百年】(1990)
奄美大島近海:名瀬で棚落ちや地割れなど軽被害。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:奄美大島近海。名瀬で棚上の品物落下、地割れなどの軽被害。
1891 |
明治24年 |
10月13日~14日 |
暴風雨 |
風水害 |
家屋倒壊他 |
宮崎 |
椎葉村 |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
―
1891 |
明治24年 |
10月16日 |
豊後海峡地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
大分 |
大分市 |
― |
― |
|
>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
震源、豊後海峡7時06分、大分市弱震。(日本地震資料)
1893 |
明治26年 |
9月7日 |
鹿児島県南部地震(M5.3) |
地震、津波 |
家屋倒壊、家屋・土蔵・堤防破損、地すべり、崖・土砂崩れ、道路亀裂 |
鹿児島 |
南九州市知覧町、鹿児島市新島町 |
家屋倒壊2(鹿児島県) |
なし |
|
>詳細
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【理科年表H28】(2016)
鹿児島県南部:知覧村付近で強く、家屋、土蔵、石垣、堤防など破損。近くの村々でも被害。倒家2。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
2時40分、鹿児島県薩摩半島中部を震源とする地震が発生、震央の川辺郡知覧付近での被害が多く、破損、地すべりなど。翌年同じ位置にM6.3の地震があり、小被害がでる。
【九州の災害史】(1987)
4月7日、鹿児島地震、知覧村付近で強く、家屋数棟倒壊、または破損。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
2時30分、震源:薩摩知覧村(M6.4)知覧村で居宅半壊1、土蔵破損10、石垣破損88、堤防破損1、その他の地方でも石垣崩壊、倒家などあり。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:中。午前2時30分より県下地震数回あり、給黎郡知覧村(現南九州市)最も激しく、同日午後8時まで激震3回に及び今なお時々微震あり、中心点と思われるもの原因分からず、道路の破損大小60個所あり、石垣は過半崩壊、土蔵はすべて亀裂し、その他地上の亀裂少なからず、幸い人畜の死傷なし。(震災予防調査会報告)
附記:午前2時40分大隅国北大隅郡西桜島赤間の内新島(現鹿児島市新島町)は北方16間幅4間余亀裂し、後12日午前11時頃同所に海嘯起こり、長10間幅8間許の地崩壊せり、他に異常なし。(鹿児島外2郡役所報)
1893 |
明治26年 |
10月12日~15日 |
台風第2号 |
風水害 |
家屋全壊、大分川・山国川洪水 |
大分 |
下毛郡、宇佐郡 |
家屋流出896、家屋全・半壊2497、浸水家屋23194(大分県)、浸水家屋5100(下毛郡・宇佐郡) |
死者266(大分県)、27(下毛郡・宇佐郡) |
|
>詳細
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【大分川水系河川整備計画(九州地方整備局)】(2006)
台風が原因による大分川流域での洪水。
死者266名、負傷者112名、家屋流出896戸、家屋全・半壊2497戸、浸水家屋23194戸。
【山国川水系河川整備計画-国管理区間-(九州地方整備局)】(2013)
大分県内における気象状況は、13日正午頃から台風よる強風が始まり、その後気圧の下降が著しく、14日の夕刻には23.1mm/hの豪雨となり、14日の降水量は283.9mm、総降水量403.4mm、継続降雨時間75時間が記録された。堤防決壊等による浸水のため多くの死者、負傷者を出した。
死者27名、負傷者48名、浸水家屋5100戸(下毛郡・宇佐郡)※大分県災害誌から掲載
1894 |
明治27年 |
1月4日 |
薩摩半島地震(仮称)(M6.4) |
地震 |
山崩れ、道路・橋梁決壊、家屋破損 |
鹿児島 |
南九州市、鹿児島市、南さつま市、日置市 |
山崩れ29、道路決壊11、橋梁決壊11(鹿児島県) |
― |
|
>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:薩摩知覧村(M6.4)田畑被害7畝、山岳崩壊29、道路・橋梁被害各11。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:中。午後10時20分激震あり、その後10分、20分または30分間を隔てて震動し、昨年の9月の地震に比すれば知覧地方は薄弱なりしも、川辺郡地方等(現南九州市)はかえって強烈なりし、しかし中心点は依然知覧村にあるがごとし、給黎(現鹿児島市・南九州市)、川辺(現南九州市)、頴娃(現南九州市)、谿山(谷山:現鹿児島市)の諸郡川水概ね濁り、阿多(日置市、南さつま市)、川辺、日置、谿山の4郡において田畑の被害7畝(694.2㎡)、山岳の崩壊29個所、道路決壊11個所、橋梁同一の個所なり。(日地)
1894 |
明治27年 |
8月8日 |
阿蘇西麓地震(M6.3or6.8) |
地震 |
山崩れ、家屋・土蔵破損、石垣崩れ |
熊本 |
阿蘇市 |
山崩れ18、家屋・土蔵破損22、石垣崩れ9(熊本県) |
― |
|
>詳細
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【熊本県災害史年表】(1999)
阿蘇山大鳴動、大地震。阿蘇西麓地震と呼ばれる。震源は阿蘇山西麓。(写真集熊本100年)
【福岡の気象百年】(1990)
(M6.3)熊本県北東部:阿蘇郡で被害有、山崩れや石垣崩壊など。
【熊本県の気象百年】(1990)
23時19分、熊本県北東部M6.3、阿蘇郡永水村で家屋土蔵破損15、石垣の崩壊が多かった。長陽村で家屋破壊1、石垣崩壊9。
【九州の災害史】(1987)
8月8日、熊本中部地震M6.8、阿蘇郡で家屋土蔵破損22、山崩れ18、その他の小被害があった。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
佐賀の発震時刻は午後11時18分50秒で、30日まで10回の余震があり、振り子時計の止まった所があった。
【熊本県災異誌】(1952)
程度:中。阿蘇地震:阿蘇郡永水村においては家屋土蔵の破損15個所、長陽村家屋の破損の個所石垣の崩壊9個所、山崩れ18個所、久木野村家屋破損1、山西村石垣崩れ17、錦野村家屋土蔵の破損5、次の日にも同様の震央地(肥後の北西部)にて地震。(抜粋)(中央気象台刊行地震年表)
1894 |
明治27年 |
11月30日 |
地震 |
地震 |
― |
熊本 |
阿蘇郡西原村 |
― |
― |
|
>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
午前9時地震あり、震央地は前記8月のものと同様、肥後の北西部なり。(中央気象台刊行地震年表)
1895 |
明治28年 |
7月24日 |
暴風雨 |
風水害 |
家屋倒壊他 |
福岡 |
福岡県内全域 |
― |
死者429(福岡県) |
|
>詳細
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【福岡県災異誌(福岡県測候所)】
―
※筑後川河川整備事務所HPに同じ災害と思われる記載あり
1895 |
明治28年 |
8月27日 |
熊本県地方地震(M6.3~6.8) |
地震 |
― |
熊本 |
阿蘇市 |
― |
― |
|
>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
22時42分、熊本県北東部。M6.3。阿蘇郡山西村で土蔵破壊400、堤防亀裂8、石垣崩壊22、石碑・石灯籠の転倒多し。永水村で家屋破損5。その他の諸村で小被害。肥後・筑後地方で強震。
【九州の災害史】(1987)
熊本県地方地震M6.8、阿蘇郡山西村で家屋、土蔵破損400、その他の被害が多かった。
【熊本県災異誌】(1952)
肥後北西部、程度:大。(震度6以上):阿蘇地方の強震にして、家屋土蔵の破損400、堤防所々亀裂。(抜粋)(震災予防調査会報告)、震央地は肥後の阿蘇郡山西村、山西村においては家屋土蔵破損400棟、永水村にて家屋破損5、29日にも余震。(中央気象台刊行地震年表)
1895 |
明治28年 |
9月7日~8日 |
台風第6号 |
風水害 |
高潮、床上浸水、交通途絶 |
熊本 |
宇土市 |
― |
― |
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>詳細
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【不知火高潮災害誌】(1999)
網田村(現宇土市)で床上2~3尺、三角への交通途絶。
1895 |
明治28年 |
10月4日 |
地震 |
地震 |
― |
熊本 |
阿蘇郡西原村 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
震央地は前記8月のものと同様、阿蘇郡山西村。(中央気象台刊行地震年表)
1897 |
明治30年 |
8月中旬 |
地震 |
地震 |
― |
佐賀 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
稀にみる大地震あり。数日に連続し、村民戦々恐々たり。(満島村誌)
佐賀では15日午後9時15分12秒に地震計に感じたが人体の感塵はなかった。
1898 |
明治31年 |
4月3日 |
地震 |
地震 |
― |
佐賀 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
午後4時頃佐賀地方に激震、震動時間長く各家の柱時計も大抵止まる。佐賀の発震時刻は午後3時48分50秒で振り子時計が止まった。
1898 |
明治31年 |
8月10日~12日 |
糸島地震(M6.0、M5.8) |
地震 |
家屋破損、土蔵破損、神社破損、土地陥没・亀裂 |
福岡 |
糸島市波多江、深江、福岡市今宿 |
家屋破損73、土蔵破損13、神社破損8(福岡県) |
負傷者3(福岡県) |
|
>詳細
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【日本の自然災害500~1995年】(2010)
福岡県西部地震:M6.0、21時57分、福岡県西部糸島半島付近を震源とする地震が発生。糸島郡で家屋破損73、土蔵破損13、神社破損8などの被害あり。12日再び同じ場所でM5.8の地震が起きて家屋などが小破。
【地震・津波と災害】(1991)
筑前糸島郡:M6.0、家屋破損73、傷者3人。12日にも同地方で再び地震があり、家屋などが小破した。
【福岡の気象百年】(1990)
被害は、糸島半島の頸部、国鉄の北側沿線に集中し、全体で負傷3人、家屋倒壊58棟、家屋傾斜15棟、土蔵破損13棟、神社破損8ヶ所など。とくに被害が大きかったのは波多江村と可也村で、可也村の小金丸では長さ50間(約90m)ばかりの楕円形の土地が陥没し亀裂を生じた。また、今宿村や深江村の沖の漁船は海震を感じた。
【九州の災害史】(1987)
福岡市付近地震M6.5、糸島郡で家屋破損73、土蔵破損13、神社破損8。12日に再び地震があり、家屋などが小破した。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
佐賀地方に強震(震度5)あり。唐津地方では10日夜の初震より11、12日の夜にかけて強弱30余回の地震あり。(佐賀新聞)
糸島地震:佐賀での発震時刻は10日午後9時58分03秒で、その前に物の落ちるが如き地震あり、時計が止まった。また12日午前8時34分29秒、また午後1時04分15秒(時計止まる)にもかなりの震動があった。
【福岡県災異誌】(1936)
8月12日朝、糸島郡(現糸島市)に本県としては稀にみる強震。
1898 |
明治31年 |
12月4日 |
熊本地方地震(仮称)(M6.7) |
地震 |
家屋倒壊他 |
熊本 |
阿蘇市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
九州中部:九州、四国、中国、近畿および中部地方におよぶ広大な有感区域で宮崎において古き家屋の毀損したものあり。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
肥後東部地震:阿蘇山東麓が震源地で、佐賀の発震時刻は午前1時35分38秒であった。
【熊本県災異誌】(1952)
肥後東部の地震、程度:大(震度6以上):阿蘇山の東麓。(震災予防調査会報告)、人吉市、宮崎県に被害。(抜粋)(中央気象台刊行地震年表)
1899 |
明治32年 |
3月24日 |
宮崎南部地震(仮称)(M7.2、6.4) |
地震 |
家屋倒壊、壁剥落 他 |
宮崎 |
宮崎市 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
13時5分、震源:宮崎県南部(M7.2)宮崎で小被害。
【宮崎県災異誌】(1967)、【宮崎県の災害の実態】(1961)
日向南部(M6.4):震域は九州四国、中国の南が強弱震程度、近畿、中部関係の南半が有感、宮崎において家屋の壁剥落、品物落下による被害が若干あり、南那珂郡飫肥において地面に亀裂を生ず、震源は内陸にありと推定される。
1899 |
明治32年 |
7月 |
洪水 |
風水害 |
洪水 |
福岡 |
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>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
水位:2丈4寸
1899 |
明治32年 |
11月25日 |
日向灘地震(M7.1、M6.9) |
地震、津波 |
家屋損傷、土蔵倒壊 |
大分、宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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009 |
【理科年表H28】(2016)
宮崎県沖:宮崎、大分で家屋が小破し、土蔵が倒壊した。大分では2回目(M6.9)の方が強かった。(津波規模50cm以下無被害)1回目:3時43分、2回目3時55分。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方東部地震。
【福岡の気象百年】(1990)
(1回目)日向灘中部:中部の12分後に北部の地震が発生。津波有。
(2回目)日向灘北部:家屋破損など。
【九州の災害史】(1987)
6月25日、日向灘地震M7.6、宮崎・大分で家屋が小破し、土蔵が倒壊した。3時43分(M7.6)と3時55分(M7.5)二回あった。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
午前3時46分12秒と午前3時56分18秒の2回に亘ってかなりの地震が感ぜられた。
1900 |
明治33年 |
7月6日~11日 |
梅雨前線による大雨 |
風水害 |
家屋倒壊、遠賀川洪水 |
福岡 |
田川郡 |
家屋倒壊8、浸水家屋780、堤防決壊55、橋梁破壊26(田川郡) |
死者1(田川郡) |
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>詳細
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【遠賀川水系河川整備計画【大臣管理区間】九州地方整備局】(2007)
原因は梅雨。遠賀川流域での洪水。
死者1人、家屋倒壊8戸、浸水家屋780戸、堤防決壊55ケ所、橋梁破壊26ケ所(田川郡の被害のみ)
1900 |
明治33年 |
7月27日 |
肥後北西部地震(仮称)(震度3~4) |
地震 |
― |
熊本 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
程度小。(阿蘇噴火史要)
1901 |
明治34年 |
6月24日 |
南西諸島地震(M7.5) |
地震、津波 |
石垣崩壊 |
鹿児島 |
奄美市名瀬 |
― |
― |
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>詳細
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【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南西諸島地震:16時02分、鹿児島県奄美大島近海を震源とする地震が発生し、南西諸島と九州および四国で揺れを感じる。大島の名瀬で石垣崩壊などの小被害。小津波あり。
【地震・津波と災害】(1991)
奄美大島近海:有感域広し、名瀬にて多少の被害あり、小津波あり。同日午後にも規模7.0の地震あり。
【福岡の気象百年】(1990)
奄美大島近海:有感域は広いが名瀬で石垣の崩壊など小被害。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:奄美大島近海(M7.9)名瀬にて石垣崩壊、瓦落下などの小被害、津波あり、細島で波高7~8寸。
1901 |
明治34年 |
7月 |
洪水 |
風水害 |
洪水 |
福岡 |
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>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
霖雨洪水、水位:2丈2尺9寸7分
1902 |
明治35年 |
12月11日 |
屋久島近海地震(仮称)(M6.4) |
地震 |
― |
鹿児島 |
屋久島町、薩摩川内市 |
― |
なし |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:屋久島近海。屋久島、甑島の灯台に小被害。屋久島、甑島で震度5。
1903 |
明治36年 |
3月12日 |
豊後海峡地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
大分 |
大分市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:小。大分地方。震源は豊後海峡、21時11分、大分市弱震(日本地震資料)
1903 |
明治36年 |
10月11日 |
日向灘地震(M6.3) |
地震 |
家屋倒壊他 |
宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M6.3
【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:11日1時41分日向灘南部に発震、震域の長径140里、短径100里におよび強震部は日向および大隅の南半であった。宮崎においては鞍崎燈台において点火用装置の破損および亀裂を生じた。
1904 |
明治37年 |
6月24日~25日 |
梅雨前線による大雨 |
風水害 |
家屋倒壊、遠賀川洪水 |
福岡 |
遠賀川流域 |
家屋倒壊2、家屋埋没1、床上浸水550(遠賀川流域) |
死者1(遠賀川流域) |
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>詳細
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【遠賀川水系河川整備計画【大臣管理区間】九州地方整備局】(2007)
原因は梅雨。死者1人、家屋倒壊2戸、家屋埋没1戸、床上浸水550戸、床下浸水650戸、田畑冠水47町歩。
1905 |
明治38年 |
7月 |
洪水 |
風水害 |
洪水 |
福岡 |
|
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>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
水位:2丈2尺9寸
1905 |
明治38年 |
7月25日~26日 |
梅雨前線による集中豪雨〔明治38年水害〕 |
風水害 |
家屋流失、遠賀川洪水 |
福岡 |
遠賀川流域 |
家屋流失倒壊163、浸水家屋21000以上(遠賀川流域) |
死者12(遠賀川流域) |
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>詳細
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【遠賀川水系河川整備計画【大臣管理区間】九州地方整備局】(2007)
原因は梅雨。日の出橋水位6.51m。死者12人、家屋流失倒壊163戸、浸水家屋21000戸以上、堤防決潰257ケ所、橋梁流出141橋。
1905 |
明治38年 |
8月28日~29日 |
集中豪雨 |
風水害 |
山崩れ |
宮崎 |
綾町 |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
―
1906 |
明治39年 |
3月13日 |
日向灘地震(仮称)(M6.4) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
発生:22時27分、震央:日向灘、熊本Ⅳ(震度4)。
1906 |
明治39年 |
3月17日 |
熊本地方地震(仮称)(震度4) |
地震 |
― |
熊本 |
熊本市 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
熊本付近:21時20分。熊本市内で陶器店・ガラス店にて多少の被害。最大震度Ⅳ(震度4):熊本。
1907 |
明治40年 |
3月10日 |
熊本地方地震(仮称)(M5.4) |
地震 |
― |
熊本 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
熊本付近:22時03分。煉瓦煙突破壊1、家・倉庫壁の亀裂3などの軽被害。最大震度Ⅳ:熊本。
1908 |
明治41年 |
4月16日 |
鹿児島県中部(仮称)(M4.0) |
地震 |
瓦落下、落石 |
鹿児島 |
鹿児島市 |
― |
なし |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
12時27分、震源:鹿児島県中部。吉田村本城(現鹿児島市)で瓦の落下、落石などの軽被害。吉田村で震度5。
1908 |
明治41年 |
5月2日 |
地震 |
地震 |
― |
熊本 |
阿蘇市 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
午前2時55分地震あり、弱震に属し震央地は阿蘇山なり。(熊本測候所)
1909 |
明治42年 |
1月5日 |
鹿児島地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
鹿児島 |
鹿児島市 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:小。この地震は午後3時50分に発し、震域は長径50里短径30里にして陸地面積は僅かに790方里を有する局発地震なりしも震動は比較的強く、鹿児島市においては一般に強震を感じたり。
1909 |
明治42年 |
4月28日 |
豊後海峡地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
大分 |
大分市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:小。大分地方。震源は豊後海峡、11時57分、大分市弱震(日本地震資料)
1909 |
明治42年 |
11月10日 |
九州地方南部地震 |
地震 |
家屋倒壊、土地隆起他 |
宮崎 |
宮崎市 |
家屋全壊2、半壊3(宮崎県) |
負傷者3(宮崎県) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
宮崎県西部:宮崎市付近で被害が大きく、宮崎、大分、鹿児島、熊本の各県に被害があった。家屋全潰4。大きなやや深発地震で、深さ約150km。従来日向灘とされていたもの。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
九州地方南部地震:15時13分、宮崎県西部を震源とする地震が発生、宮崎市付近で被害が大きく煙突、障壁の倒壊や屋根瓦の落下あり。大分、熊本、鹿児島で軽微な被害。従来は日向灘が震源とされていたが、その後の調査から宮崎県西部の内陸で起きたものでやや大きな深発地震。
【熊本県の気象百年】(1990)
15時13分、宮崎県西部、震域広く日向・土佐で潰家・死者あり。宮崎市で被害大きく、煙突・障壁の倒壊、瓦の落下あり、海岸地方の土地の亀裂、家屋の半潰あり。東臼杵郡で家屋全潰2・破損3。その他、県内で負傷3。大分・熊本・鹿児島・高知県でも被害あり。最大震度Ⅴ:宮崎、大分、鹿児島、佐賀。
【地震・津波と災害】(1991)
宮崎県西部:震域広し、日向・土佐などで壊家死者を出す。
【九州の災害史】(1987)
日向灘地震M7.9、宮崎(煙突倒壊、家屋全壊2)、大分、鹿児島、熊本の各県に軽微な被害があった。
1910 |
明治43年 |
― |
地すべり |
― |
地すべり |
佐賀 |
西松浦郡黒川村 |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
―
1911 |
明治44年 |
2月18日 |
日向灘地震(M5.6) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
―
1911 |
明治44年 |
6月15日 |
喜界島地震(M8.0) |
地震、津波 |
家屋倒壊 |
鹿児島 |
喜界島、徳之島 |
家屋全壊422(全体)、家屋全壊401、半壊533(喜界島) |
死者12(全体)、1(喜界島)、5(徳之島) |
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>詳細
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010 |
【理科年表H28】(2016)
奄美大島付近:「喜界島地震」有感域は中部日本に及び喜界島、沖縄島・奄美大島に被害があった。死12、家屋全潰422。この地域最大の地震。(津波規模1m程度)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
南西諸島地震:23時26分、鹿児島県喜界島近海を震源とする強い地震が発生、喜界島の被害が大きく、住家全壊401、死者1。奄美大島で住家全壊11、徳之島で住家全壊5、死者5。全体で住家全壊422、死者12人。宮崎県でも小被害。南西諸島では観測史上最大の地震。
【地震・津波と災害】(1991)
喜界島近海:震域甚だ広し。震害の最大は喜界島で家屋の全壊401、半壊533、死者1人、傷者9人。震災地を通じて全壊422、死者12人。津波あり。
【福岡の気象百年】(1990)
奄美大島近海:特に喜界島で被害大、名瀬のほか宮崎でも家屋が破損、死者12。小津波有。
【九州の災害史】(1987)
喜界島近海地震M8.2、有感域は関東に及び、喜界、沖縄、大島に被害があった。死者12人、家屋全壊422。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
震源:喜界島近海(M8.2)。奄美大島では15日3回の有感地震の後この地震となった。喜界島で被害が最も大きく、死者1、負傷者9、住家全潰401、半潰433、その他の地方でも死傷者あり、震災地を通じて死者12人、負傷者26人、住家全潰428、半潰565、石垣崩壊、山崩れ多し、津波あり、名瀬付近で震度6。
1911 |
明治44年 |
8月22日 |
熊本県北東部地震(仮称)(M5.7) |
地震 |
石垣破損、山崩れ |
熊本 |
阿蘇市 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
7時48分熊本県北東部。長陽村で石垣破損、山崩れ等の小被害。震度Ⅱ:福岡。
【熊本県災異誌】(1952)
午前7時50分宮地方面に弱震(弱き方)あり、宮地にて時計止まる、長陽村にて石垣及び山崩れあり。(熊本測候所調査)
1911 |
明治44年 |
9月 |
豪雨 |
風水害 |
家屋全壊、本明川洪水 |
長崎 |
諫早市、大村市 |
家屋全・半壊52、流失16、床上浸水370戸(諫早市、大村市) |
死者11、行方不明者2(諫早市、大村市) |
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>詳細
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【本明川水系河川整備計画(変更)九州地方整備局】(2016)
豪雨により、諫早、大村で死者11名、行方不明者2名、家屋全・半壊52戸、破損275戸、流失16戸、床上浸水370戸、床下浸水253戸、その他堤防、道路、橋、田畑の被害多し。
1912 |
明治45年 |
1月7日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
宮崎市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:震央は宮崎市北東50kmの日向灘で宮崎県の海岸一帯で弱震を感じた。有感区域は震央より約250km四方であり、被害はなかった。
1912 |
明治45年 |
1月21日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
宮崎市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:宮崎市の東方50kmの日向灘に起こったもので震央付近で弱震、被害はなかった。
1912 |
明治45年 |
8月22日 |
豊後海峡地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
大分 |
大分市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:小・大分地方。震源は豊後海峡、1時29分、大分市弱震。(日本地震資料)
1912 |
大正元年 |
9月8日 |
宮崎地方地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
小林市 |
なし |
なし |
|
>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
宮崎小林町付近:22時20分、西諸県郡東部に弱震を感じ、南は都城、北は椎葉神門付近までおよんでいる。有感区域は南九州一円で被害はなかった。
1912 |
大正元年 |
10月2日 |
日向北部沿岸地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
延岡市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向北部沿岸:延岡市の東方50kmの日向灘北部に起こったもので、震央付近の震度は弱震、有感区域は震央から300kmにわたっている。被害はなかった。
1912 |
大正元年 |
10月2日 |
大雨 |
風水害 |
大規模崩壊、地すべり |
宮崎 |
東臼杵郡北郷村 |
崩壊箇所多数 |
― |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
各所で大規模崩壊、地すべり発生、河川氾濫、全橋梁流出。
1913 |
大正2年 |
4月3日 |
日向灘地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
宮崎 |
延岡市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:8時53分延岡付近の日向灘に起こったもので宮崎で強震、熊本、大分で弱震で被害はなかったが、有感区域は200km四方におよんでいる。この地震により、細島では2時間以内に5回の余震があり、地鳴を伴った。
1913 |
大正2年 |
4月13日 |
日向灘地震(M7.1) |
地震 |
家屋倒壊、家屋破損、壁の亀裂 |
宮崎 |
宮崎市 |
― |
なし |
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>詳細
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【宮崎県における災害文化の伝承】(2006)
M7.1
【福岡の気象百年】(1990)
日向灘中部:宮崎県で家屋破損など。
【熊本県の気象百年】(1990)
15時40分、震央:日向灘。震度Ⅳ(震度4):熊本。
【宮崎県災異誌】(1967)
15時40分頃宮崎において前2回のものよりかなり強い地震が感ぜられた。震央は日向灘南部で宮崎、熊本、鹿児島において弱震を感じ有感区域は遠く名古屋、金沢におよんでいる。被害は宮崎市で壁の亀裂、陶器類の落下破損、液体の溢出あった程度で大したものはなかった。
1913 |
大正2年 |
4月20日 |
日向灘地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
宮崎 |
日向市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:23時51分宮崎の北東20km日向灘に起こったもので強震部は日向灘沿岸地方のみである。被害はなかった。
1913 |
大正2年 |
5月17日~30日 |
霧島山麓地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎、鹿児島 |
霧島市、小林市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
霧島山麓:霧島山麓の鹿児島県下姶良郡吉松付近および宮崎県西諸県郡小林、加久藤、真幸付近にて17日より30日頃までに頻繁な地震を感じた。震動の最も旺盛なのは22、23の両日で数十回におよんでいると思われるが、地震計に観測できたのは23回で、特に霧島山麓より北西に多く、人心に動揺を与えたが25日頃から減少し30日以後全く平静に復した。地震の模様は巨石の落下したような感覚で地鳴を伴った。なお、この地震は有感域は狭く50km四方くらいまである。
1913 |
大正2年 |
6月29日~30日 |
伊集院地震(M5.7~6.4) |
地震 |
家屋倒壊、崖崩れ、土砂崩れ、土蔵亀裂 |
鹿児島 |
いちき串木野市、日置市、鹿児島市 |
家屋倒壊1(日置市) |
負傷者1(いちき串木野市) |
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>詳細
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【理科年表H28】(2016)
鹿児島県西部:翌日再震(M5.9)、この方が強かった。両方で家屋倒潰1。地鳴りを伴った。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
16時7分(M6.0)、震源:鹿児島県西部「伊集院地震」、西市来村(現いちき串木野市)で崖崩れなどの小被害。16時50分(M6.4)、鹿児島市で家屋・土蔵壁の崩壊各1、西市来村で負傷者1人、永吉村(現日置市)で山崩れ・家屋倒壊1、土蔵壁の亀裂多、鹿児島震度5。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
発震時、17時23分(16時50分)、震源地は鹿児島湾付近の東経130.5度、北緯31.7度、日置郡市来村湊町(現いちき串木野市)にては断壁崩落し、厩舎1棟倒れたり。また、鹿児島市内、振り子時計停止し、住宅及び土蔵の壁の崩壊1個所、、日置郡永吉村(現日置市)では土砂崩壊により家屋1棟圧倒す。(験震時報)
【鹿児島県災害史1899~1950】(1951)
程度:小。鹿児島湾付近。30日16時50分:鹿児島市内振り子時計停止。住宅及び土蔵の壁の崩壊せしもの1個所、日置郡永吉村(現日置市)土砂崩壊し家屋一棟壓(圧)倒し、土蔵その他の壁に亀裂を生じたるもの尠(少)からず、また全郡市来町大里(現いちき串木野市)にて厩舎一棟倒壊せり。
1913 |
大正2年 |
7月9日 |
霧島山麓地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
宮崎、鹿児島 |
霧島市、小林市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
霧島山麓:11時20分霧島山麓に起こったもので強震区域は震央より25km四方におよんでいるが家屋その他の被害はなかった。同日中に引き続き余震が16回現れ、西諸県郡加久藤にて最も強く、発震前に遠雷のような地鳴を観測している。
1913 |
大正2年 |
11月1日 |
日向灘地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:9時44分宮崎市の東方約100kmの日向灘に起こったが震域は震央より約200kmにわたり、県下全域に有感であった。被害はなかった。
1914 |
大正3年 |
1月12日 |
桜島噴火(桜島地震M7.1)〔大正大噴火・桜島地震〕 |
火山、地震、津波 |
噴火、家屋倒壊、地割れ、水道・煙突破損、浸水、船舶全壊 |
鹿児島 |
鹿児島市 |
家屋全壊120(全体)、81(鹿児島県)、地割れ、水道・煙突破損、浸水、船舶全壊13(鹿児島県) |
死者58、負傷者112(全体)、35(鹿児島県) |
● |
>詳細
pdf |
011 no3 |
【理科年表H28】(2016)
鹿児島県中部:「桜島地震」桜島の噴火で発生した地震。鹿児島市で住家全壊39、死13、鹿児島郡で死22余。小津波があった。(津波規模2m前後)
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
鹿児島地方地震:桜島の噴火に伴う地震で、震害は鹿児島市で最もひどく、死者13、住家全潰39、鹿児島郡で死者22、家屋全壊81のほか地割れや水道・煙突の破損を生じる。小津波が発生、鹿児島市沿岸で道路・家屋の浸水などあり。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
溶岩流、噴石、地震、降灰で120戸全壊、死者58名、負傷者112名、村落埋没。
【福岡の気象百年】(1990)
鹿児島市沿岸で船舶全壊13隻。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
10時5分桜島噴火、18時29分地震(M6.1)、震源:桜島、鹿児島市沿海地域が最も強く、家屋全潰39、半潰130、一部破損977、死者17人、負傷者96人、崖崩れによる圧死者10人、地震後1~1.5時間後小津波襲来し、鹿児島市沿岸道路に浸水、船舶全壊13、破損22、家屋浸水多し。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
桜島爆発のため濃霧空を閉し、段々轟々大地を感かす。(塩田郷土誌)
桜島噴火に伴う地震、午後6時29分30秒に佐賀では弱い震動が感ぜられた。
【福岡県災異誌】(1936)
桜島の噴火、地震、福岡県に降灰。(弱震)
1914 |
大正3年 |
6月 |
洪水 |
風水害 |
梅雨 |
福岡 |
|
家屋被害5130戸(中下流) |
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>詳細
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【筑後川河川整備事務所HP】
家屋被害5130戸(中下流)。降雨量で既往の洪水を大きく上回った洪水。浸水8日間に及び交通途絶、農作物腐敗。水位:6.29m
1914 |
大正3年 |
6月18日~25日 |
梅雨前線による大雨 |
風水害 |
家屋浸水、筑後川洪水 |
福岡、佐賀、大分 |
朝倉市、久留米市 |
浸水家屋2400(三井郡)、230(朝倉郡)、200(久留米市)、2300(三潴郡) |
― |
|
>詳細
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【九州防災・災害情報アーカイブ(国土交通省)】
この洪水による被害は、三井郡一帯が甚だしく、郡内19箇町村は一大江海となった。このほかでは朝倉郡、三潴郡の被害が大きかった。
【筑後川水系河川整備計画(変更)【大臣管理区間】九州地方整備局】(2018)
原因は梅雨。瀬の下地点水位6.29m。家屋被害5130戸(中下流)。降雨量で既往の洪水を大きく上回った洪水。
1914 |
大正3年 |
8月4日 |
日向灘地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
なし |
なし |
|
>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:6時47分宮崎市の東方50kmの日向灘に起こったもの、有感区域は震央から120kmで本県は全般に有感であったが被害はなかった。
1914 |
大正3年 |
8月15日~25日 |
台風第12号・大正3年潮害 |
風水害 |
高潮、堤防決壊、本明川洪水 |
長崎、熊本 |
玉名市 |
堤防決壊43、家屋流出495(熊本県)、氾濫面積285町、堤防決壊273(本明川流域) |
死者22(熊本県) |
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>詳細
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【大正時代の潮害(九州農政局)】
大正3年(1914)8月15日には、台風の中⼼が九州西方海上から九州北部を通過、しかも年間を通して最も潮差の大きい時期の満潮時刻に遭遇したため、異常な⾼潮となった。この時の横島新地の被害は、県下全域に及んだ潮害の中で最も大きく横島新地は16人、大浜町で6人の犠牲者が出た。
【本明川水系河川整備計画(変更)九州地方整備局】(2016)
氾濫面積285町、負傷者3名、堤防決壊273ヶ所等の被害を受けた。
1914 |
大正3年 |
10月29日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:5時13分宮崎市の南東40kmの日向灘南部に起こったもの。宮崎の沿海地方で弱震、山間地方では微震を感じた。
1915 |
大正4年 |
1月27日 |
日田・玖珠地震(仮称)(震度4) |
地震 |
― |
大分 |
日田市、玖珠郡 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
大分県日田、玖珠郡地方の地震。(中震)
1915 |
大正4年 |
2月10日 |
日田・玖珠地震(仮称)(震度4) |
地震 |
― |
大分 |
日田市、玖珠郡 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
大分県日田、玖珠郡地方の地震。(中震)
1915 |
大正4年 |
7月14日 |
鹿児島県北部地震(仮称)(M5.0) |
地震 |
道路崩壊・亀裂、石垣墜落 |
鹿児島 |
姶良郡湧水町 |
― |
― |
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>詳細
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【鹿児島の気象百年誌】(1983)
県道崩れる。栗野温泉で道路・石垣の破損あり、湯之野で沸騰した泥土を3m噴出する。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災異誌S27.4】(1952)
程度:中。鹿児島県下吉松栗野(現姶良郡湧水町)地方地震、発震時は午後9時13分にして栗野吉松間の川添県道は為に崩壊し、栗野岳温泉にては道路亀裂し石垣所々墜落せり、霧島にては湯之野温泉の泉源崖崩の為に位置を変じ、沸騰せる泥土を10尺の高さに噴出せり。この地震に引き続き同地方に強弱地震続発せり。震源は、吉松の南東1里余りすなわち栗野岳温泉の北半里程の所なり。
1915 |
大正4年 |
9月7日~9日 |
台風第12号 |
風水害 |
高潮、堤防決壊、田畑地・民家浸水 |
熊本 |
熊本県内全域 |
田畑地浸水250町歩、家屋浸水79(熊本県) |
― |
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>詳細
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【熊本県災害史年表】
―
1915 |
大正4年 |
9月17日 |
豊予海峡地震(仮称) |
地震 |
― |
大分、宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
豊予海峡:21時18分四国佐田岬南方20kmの豊予海峡に起こったもので特に本県北部に強く感じた。
1915 |
大正4年 |
10月23日 |
日向灘地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:11時17分、宮崎市の東方50kmの日向灘で起こったものである。
1915 |
大正4年 |
11月24日 |
遠賀川地震(仮称)(震度4) |
地震 |
― |
福岡 |
北九州市門司区 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
震源地は飯塚または直方付近。震動は東部で比較的強く、特に門司、泉では中震を感じ、弱震部域鞍手、嘉穂、田川、遠賀、築上、京都、企救、宗像の諸郡と小倉、門司の二市を含む。微震部域は筑紫、粕屋、朝倉、早良の諸郡と福岡市を含み、久留米、前原、柳川は全くこれを感じなかった。(中震)
1916 |
大正5年 |
2月1日 |
種子島東沖地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎、鹿児島 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
種子島東沖:種子島の南南東50kmの沖合で起こった極めて大規模なもので宮崎県では南部で弱震程度であった。
1916 |
大正5年 |
3月6日 |
竹田地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
大分 |
竹田市 |
― |
― |
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>詳細
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【大分県災害誌(資料編)】(1952)
程度:小。大分地方。震源地、直入郡竹田町付近、18時12分、大分市弱震。(日本地震資料)
【熊本県災異誌】(1952)
竹田地震、強震範囲630方里、阿蘇方面強震、熊本方面弱震鳴動を伴う。
1916 |
大正5年 |
3月15日 |
阿蘇山麓北部地震(仮称) |
地震 |
― |
熊本 |
阿蘇市 |
なし |
なし |
|
>詳細
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【熊本県災異誌】(1952)
阿蘇山麓北部地震、前後二回やや大なるものを感ずるも被害なし。
1916 |
大正5年 |
12月29日 |
熊本県南部地震(M6.1) |
地震 |
石垣崩壊、壁・田畑の亀裂 |
熊本 |
人吉市 |
― |
― |
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>詳細
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【熊本県の気象百年】(1990)
6時41分熊本県南部。水俣・佐敷地方ひどく数日間に数十回の地震あり。石垣崩壊、壁・田畑の亀裂等の小被害。震度Ⅲ:佐賀。
【宮崎県災異誌】(1967)
肥後南部:6時41分人吉の北西方照岳方面に発震したもので有感区域は九州全般で、震央付近では壁の亀裂など多少の被害を生じた。本県に被害はなかった。
1916 |
大正5年 |
― |
大分県北東部(M6.1) |
地震 |
― |
大分 |
豊後大野市、竹田市 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡の気象百年】(1990)
大分県北東部:大野郡、直入郡で軽被害。
1918 |
大正7年 |
4月2日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
宮崎市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:12時34分宮崎市の東方沖に発震したもので有感区域は九州全般および四国の一部に過ぎなかった。性質は急で強く感ぜられ、宮崎においては弱震で被害はなかった。
1918 |
大正7年 |
7月12日 |
台風第5号 |
風水害 |
家屋浸水、山国川洪水 |
大分 |
山国川流域 |
床上浸水104、床下浸水298(下毛郡・宇佐郡) |
死者・行方不明者10(下毛郡・宇佐郡) |
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>詳細
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【山国川水系河川整備計画-国管理区間-九州地方整備局】(2013)
11日午後10時20分頃から豪雨となって、しだいに風勢を増し、12日午前6時には最大風速の16.6m/s、最大瞬間風速の23.5m/sに達した。降雨は滝のように降り注ぎ、最大雨量は5分間7.0mm、1時間30.0mm、また日雨量は耶馬溪で350mm以上(大分測候所開設以来の降雨)を記録し、山国川を含む各河川において増水し氾濫。
死者・行方不明者10名、床上浸水104、床下浸水298(下毛郡・宇佐郡)※大分県災害誌から掲載
1918 |
大正7年 |
9月15日 |
日向灘地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎 |
宮崎市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:16時01分宮崎市の南東80kmの日向灘南部に発震、有感区域は震央より150kmで県北にてほとんど感じていない。
1918 |
大正7年 |
12月10日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
日向市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:3時49分宮崎市の東微北100kmの日向灘沖合に発震、本県では沿海地方の弱震を感じている。有感区域は震央より200kmにわたった。
1919 |
大正8年 |
3月14日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
宮崎 |
宮崎市 |
なし |
なし |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:8時12分宮崎市の北東50kmの日向灘沖合に発震、宮崎における震度は弱震で被害はなかった。
1919 |
大正8年 |
8月 |
暴風雨 |
風水害 |
地すべり |
宮崎 |
高岡町 |
― |
死者4(宮崎県) |
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>詳細
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
―
1919 |
大正8年 |
8月16日 |
台風第8号 |
風水害 |
堤防決壊・破損、浸水耕地、家屋浸水・流失 |
熊本 |
玉名市、熊本市 |
堤防決壊15、破損42、浸水耕地526町歩、家屋浸水・流失155 |
― |
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>詳細
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【不知火高潮災害誌】(1999)
高潮の高さ:横島村(現玉名市)34尺0寸(約10.3m)、罹災民(被災者)935人、発生場所:玉名・飽託郡(現熊本市)。
1919 |
大正8年 |
12月21日 |
日向灘地震 |
地震 |
― |
宮崎 |
日向市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:6時39分宮崎市の南東55kmの日向灘南部に起こったもの。有感区域は震央から120kmで宮崎および県南部にて弱震であった。
1920 |
大正9年 |
2月23日 |
豊予海峡地震(仮称)(震度5) |
地震 |
― |
大分 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
豊予海峡:15時31分四国佐田岬北方30kmの豊予海峡に起こった、やや顕著な地震で有感区域は山陰、山陽、四国、九州北半にわたり、とくに大分および四国の西部にては強震を、瀬戸内海西部の北方沿岸は弱震を感じた。
1920 |
大正9年 |
5月22日 |
豊後水道地震(仮称) |
地震 |
― |
大分 |
― |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
豊後水道:4時18分頃前項の地震とほぼ同一地点(四国佐田岬北方30km)の豊予海峡に起こった、やや顕著地震で有感域は九州、四国、山陰、山陽の西部地方および無感微動域は遠く浜松におよんでいた。
1920 |
大正9年 |
5月26日 |
鹿児島地方地震(仮称) |
地震 |
― |
宮崎、鹿児島 |
南さつま市加世田 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
鹿児島県加世田付近:4時55分鹿児島県加世田付近に起こったもので有感半径は150km、本県は西部で感じた。
1920 |
大正9年 |
8月14日~16日 |
台風第6号 |
風水害 |
高潮 |
熊本 |
宇土市、玉名市 |
― |
― |
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>詳細
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【不知火高潮災害誌】(1999)
小白開の決壊により、小潮害あり。
1920 |
大正9年 |
12月19日~20日 |
有明海沿岸地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
福岡 |
筑後市羽犬塚 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
有明海沿岸の地震、弱震は、西宮永(柳川市)、四ツ山(大牟田市四山町)、銀水(大牟田市)、矢部(八女市)、北野(久留米市)、大川(大川市)、後藤寺(田川市)、甘木(朝倉市)、入部(福岡市早良区)、山川(久留米市)、飯塚(飯塚市)。
1921 |
大正10年 |
6月 |
大雨・大正10年水害・筑後川3大洪水 |
風水害 |
家屋浸水、筑後川・矢部川洪水 |
福岡、佐賀、大分 |
日田市、久留米市、朝倉市、うきは市 |
家屋被害11620(筑後川中下流) |
死者13(日田市) |
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>詳細
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s18 |
【九州防災・災害情報アーカイブ(国土交通省)】
筑後川洪水。日田地区では山津波を起こし三隈川は最高水位を記録。橋流失、堤防決壊。大山川流域の部落23戸が流され死者13名を出した。筑後川中下流も大きな被害を受け三潴郡の町村はすべて浸水した。
【筑後川水系河川整備計画(変更)【大臣管理区間】九州地方整備局】(2018)
原因は梅雨。瀬の下地点水位7.15m。家屋被害11620(中下流)。降雨量で既往の洪水を大きく上回った洪水。
【矢部川水系河川整備計画(変更)-国管理区間-九州地方整備局】(2016)
「6月17日前代未聞の大洪水を招き、矢部川星野川両流域に亘る二十一ヶ町村は、突如暴戻なる氾濫の害を受けて、橋梁住宅の流失、堤防堰塘の決潰田畑林野の荒廃其他人畜の死傷等各地挙て数ふ可からず。」(水害誌(八女郡)大正10年より)。浸水面積が13504haの洪水。
1921 |
大正10年 |
8月9日 |
門司地震(仮称)(震度3) |
地震 |
― |
福岡 |
北九州市門司区 |
― |
― |
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>詳細
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【福岡県災異誌】(1936)
門司付近の地震、震動は割合に強く、門司、小倉の沿岸はもちろん、豊前の内海沿岸および遠賀郡の海岸等はすべて弱震を感じた。(弱震)
1922 |
大正11年 |
7月3日~4日 |
梅雨前線による大雨 |
風水害 |
家屋流出、菊池川洪水 |
熊本 |
高瀬町 |
家屋流出2、床上浸水400(高瀬町) |
― |
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>詳細
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【菊池川系流域及び河川の概要(国土交通省)】(2008)
梅雨前線による洪水。
菊池川では高瀬町で2 尺、川筋で2戸流出し400戸床上浸水する。2 日~3 日の2 日連続雨量は高瀬で272.5mm、隈府74.4mm、大津305.1mm であった。
1922 |
大正11年 |
9月3日~9日 |
前線による大雨 |
風水害 |
本明川洪水 |
長崎 |
諫早市 |
不明 |
不明 |
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>詳細
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【本明川水系河川整備計画(変更)九州地方整備局】(2016)
豪雨(前線)により、諫早の雨量502mm(3日~9日)。被害の状況は不明。
1922 |
大正11年 |
12月8日 |
長崎県千々石湾地震 |
地震 |
地割れ、墳砂、山崩れ、家屋倒壊、道路橋梁破損、土地崩壊 |
長崎 |
南島原市、雲仙市 |
家屋倒壊654~713(全体)、家屋破損4、道路橋梁破損5、土地崩壊8(熊本県) |
死者26~27 |
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>詳細
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012 |
【理科年表H28】(2016)
橘湾:「島原(千々石湾)地震」被害はおもに島原半島南部・天草・熊本市方面。長崎県で死者26、住家全潰195、非住家全潰459、このうち2回目の地震による死者3。
【日本の自然災害500~1995年】(2010)
長崎県千々石湾地震(島原地震):1時50分頃、長崎県千々石湾を震源とするM6.9の地震が発生、島原半島南部で揺れが激しく、北有馬村橋口で家屋全壊13、死者11、東有家村中須川で死者4。続いて同日11時02分にも同じ場所を震源とするM6.5の地震。両地震を合わせて長崎県で住家全壊195、非住家全壊459、死者26人を数える。熊本県天草にも被害あり。
【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
前震11回、余震1350回、家屋倒壊600棟余。
【地震・津波と災害】(1991)
長崎千々石湾:住家全壊195、半壊661。非住家全壊459、半壊763。死者26人、傷者39人。余震685回。
【九州の災害史】(1987)
千々石湾地震(長崎県)M6.5、被害はおもに、島原半島南部、天草、熊本市方面、死27人、住家全壊194、非住家全壊449、二回目の地震で死3人、家屋倒壊70、島原半島では56年来の強震であった。
【佐賀県災異誌(下巻)】(1952)
島原に大地震あり。本村も震動塵々ありしも被害なし。(満島村誌)
島原地震:佐賀では人体に感ずる程度の地震は7日から9日までに16回を数えたが、そのうち、やや大きいものは8日午前01時50分32秒6の弱震と同日午前10時20分26秒6の弱震(震度3)であった。
1923 |
大正12年 |
1月12日 |
日向灘地震 |
地震 |
― |
宮崎 |
延岡市 |
― |
― |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:0時56分延岡北東約30kmの日向灘北部に発震したもので、有感半径は130km、県北で弱震、宮崎以南で軽震を感じた。
1923 |
大正12年 |
7月13日 |
種子島地震(M7.1) |
地震 |
家屋破損、崖崩れ |
鹿児島 |
熊毛郡中種子町、南種子町、西之表市 |
家屋破損77(鹿児島県) |
なし |
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>詳細
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【日本の自然災害500~1995年】(2010)
種子島地震:20時13分頃、鹿児島県種子島付近を震源とするかなり強い地震が発生。いずれも小被害。翌日にも同じ所を震源とするM6.6の地震あり。
【福岡の気象百年】(1990)
(M7.1)種子島近海:種子島で家屋破損など、M6.6の余震があった。
【九州の災害史】(1987)
種子島付近地震M6.5、家屋小破77余、その他小被害。
【鹿児島の気象百年誌】(1983)
20時14分(M6.5)、震源:種子島近海。中種子村(現中種子町)で住家小破27、非住家小破5、南種子村(現南種子町)で住家小破30、非住家小破15、北種子村(現西之表市)で小学校校舎小破、土地・壁の亀裂、崖崩れあり、鹿児島震度4。
【宮崎県災異誌】(1967)
種子島付近:20時13分種子島東海岸に起こったもので、有感区域は南西諸島の北半部および九州全般で、強震区域は鹿児島県全般である。本県は宮崎市で中震であったが被害は全然なかった。
【鹿児島県災異誌S44(1966)まで】(1967)、【鹿児島県災害史1899~1950】(1951)
種子島付近の地震:住家小破77戸、その他墓石転倒くらいでたいした被害なし。
1923 |
大正12年 |
9月17日 |
噴火、地震 |
火山、地震 |
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熊本 |
阿蘇市 |
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【熊本県災異誌】(1952)
第一、第二、第四火口盛んに活動し、第四火口よりは噴石を飛ばしその状花火の如く山下にしばしば地震を起こせり。
1923 |
大正12年 |
12月28日 |
日向灘地震(仮称)(震度2) |
地震 |
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宮崎 |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:21時4分宮崎の東微北60kmの日向灘沖合に発震したもので、有感区域は広島より南は九州南端まで。熊本、佐賀、鹿児島で微震、宮崎は軽震であった。
前回発震後4分の21時8分に起こったもので震央および震度は前回とほとんど同じ。
1924 |
大正13年 |
9月11日 |
台風第9号 |
風水害 |
高潮、護岸破壊 |
熊本 |
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【不知火高潮災害誌】(1999)
発生場所:海岸地帯、風浪により護岸が破壊され潮害あり。
1924 |
大正13年 |
11月30日 |
日向灘地震(仮称)(震度2) |
地震 |
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宮崎 |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:10時32分日向灘に震央を有するもので宮崎で軽震であった。
1925 |
大正14年 |
9月4日 |
大雨 |
風水害 |
崖崩れ |
宮崎 |
日之影町 |
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死者2(宮崎県) |
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【九州の自然災害~地盤災害を主として~】(2008)
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1925 |
大正14年 |
8月4日~13日 |
日田地震(仮称)(震度5) |
地震 |
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大分 |
日田市 |
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【福岡県災異誌】(1936)
大分県日田地方の強震、震源とする。(強震)
1926 |
大正15年 |
4月7日 |
日向灘地震(仮称)(震度3) |
地震 |
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宮崎 |
宮崎市 |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:20時45分宮崎市の東方53kmの日向灘沖合と起こったもので、有感区域は南九州全般。震度は熊本県の矢岳で弱震、鹿児島県の加次木・志布志・垂水で微震であった。宮崎市では緩やかな震動の軽震。
1926 |
大正15年 |
6月5日 |
日向灘地震(仮称)(震度5) |
地震 |
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鹿児島 |
垂水市、鹿屋市、屋久島 |
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>詳細
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【宮崎県災異誌】(1967)
日向灘:18時頃発震、震央は宮崎市の南東80kmの日向灘沖合であった。有感区域は九州の大部分、四国、中国地方の西部で各地の震度は鹿児島県の垂水、鹿屋および屋久島で強震、高地で弱震、鹿児島・大分で軽震、下関・多度津・和歌山・徳島・福井で微震である。規模の大きい顕著地震で、宮崎では弱震。
1926 |
大正15年 |
7月 |
大正15年7月水害 |
風水害 |
家屋流出、家屋浸水 |
熊本 |
人吉市 |
家屋流出3、浸水家屋200(人吉) |
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【球磨川水系河川整備計画[国管理区間]九州地方整備局】(2022)
家屋流出3 戸、浸水家屋200 戸(人吉)、川辺川、柳瀬の両井手は全壊。